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第50話 結果のないリハビリ

 長い長い闘病生活の始まりに過ぎない。そう感じる日々を過ごしていた。


リハビリ専門病院での母の入院期間は3ヶ月間だった。脳梗塞そのものを治療する事はない。どこまで言葉を取り戻せるかという、当て度のない機能訓練の繰り返しだった。


手にも足にも不自由はない。後遺症が全くなかった訳ではないが、生活に支障はないくらい軽度の麻痺が少しだけ残ったに過ぎなかった。


見た目には病人とは映らないのだが明らかに病人であることが解ってしまうのは目に輝きがないこと、白くなったままの髪の毛が、かつてのように小綺麗に整えられて染められる事がなくなり、乱れがちになっているからである。


 「かああちゃん、今日のリハビリは何をやってきたの?」と聞くと、数枚の印刷された紙を見せてくれる。


その紙には左側に『えんぴつ』『つくえ』『にわとり』などの絵が描かれていて、右側のひらがな表記と線を引いて連結させる。1枚の紙に5つくらいの絵とひらがな文字がランダムに並べられていて、5枚で1セットになっている。大抵の設問は正しく線で繋げられているが『森』と『木』や『おとこ』と『おんな』が逆になっていた。


この間違いは絵文字にとどまらない。母は言葉を失っているのであって声を失ったのではない。だから言いたいこと、伝えたいことを自分なりの言葉で言ってしまう。


 「ここがどこだかわかる?」と病院内で聞くと迷うことなく『学校』と答える。

入院時に放映されていた大河ドラマ『源義経』を母は毎週、楽しみにしていたが義経のことを『おんなのこ』と言い違えていた。


 母にとって、このリハビリ専門病院での楽しみは大河ドラマ『義経』という女の子を見る事と食事であった。


リハビリセンターの病院食は発病時の病院で出された食事よりも豪華に見えたし美味しいらしい。母の身体が食べ物を欲しがるように変わったという事もあるのだが、見た目は確かに美味しそうなのである。


 私自身は自分の職場である病院勤務を終えるとそのまま母が待つリハビリセンターへ直行する。着替えや洗濯、身の回りの事は母が自分で出来たので大した苦とは感じなかったが、病院から病院への毎日の移動は時間の経過と共に辛いものに変わっていった。


 決して完治も回復も見込めない事に時間を費やすのが嫌になったのではなく、気力というものが萎え始めていた。仕事場から母のいる病院へ直行し、2時間近く院内に滞在してから帰路に着く。


このトライアングルが三ヶ月続いた。もちろん自宅に戻ればアルコールを口にしていたし、アルコールだけが唯一の救いと化していた。


このトライアングルにアルコールの大量飲酒を加える事で四角形にし始める。


本来、疲れ切った身体を休め、睡眠に使えば良い時間をアルコールの蟻地獄や隣町にある赤い壁の中にいる中国人ホステス、ミンに会うことで角を取り除き、ペンタゴンからヘキサゴンへ変形させていく。見ようによっては丸い円になるように行動を変えていった。


 想えば、ここがアルコール依存症のスタート地点であり、沼から抜け出せるチャンスでもあったのかもしれない。

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