第4話 自分で稼いだ金だ
休日の病院の受け付けに駆け込んで「すみません。桑名ですが父はどこにいますか?」と聞いたが事務日直の職員の対応は平静であった。
「ちょっと前の椅子に座って待っていてください。」
それだけを言って奥に消えた。椅子に座ったものの気が気ではない。廊下を行ったりきたりして落ち着かない気持ちを持て余していると長い廊下の向こう側にある階段から人が降りてくる音が聞き取れた。
母と弟だった。
弟は泣いていた。泣き崩れそうであったが、しっかりと聞き取れる言葉を私に向けて放った。
「アニキ、もうダメだよ。」
この言葉で現実を受け入れざる負えなくなった。このあとの記憶が私にはない。記憶は無いのだが何故か再び受け付けの前に整然と並んでいる椅子に座っていた。
経験したことのない気分に落ちた。
笑みが抑えられなくなっていた。
人は自身の体験を遥かに超越する出来事に対して意味不明な行動に陥るらしい事は知っていた。
「だから言っただろう。あんなに甘いものばかりを食っていたらいつか死んじゃうぞ。味が濃すぎるし食い過ぎなんだよ。」
私の言葉は的を得ていて確実にオヤジの身体を蝕んでいたのだった。
ふと、気がつくと隣で誰かが泣いている。弟の奥さんであるゆかりさんだった。
父は昭和11年7月生まれであるから戦前、戦中、戦後の記憶が端を折って残っている。幼少期は食えなかった。食べるものにコト欠く時代だった。
弁当箱の米粒は、やんわりと盛られていた。ギュッと粒が潰れても良いくらい詰め込んで欲しかったが、無いものはない。通学途中の鞄は前にうしろに揺すぶられているうちに弁当箱が傾いて、口に入れる前に半分以上が片寄って、隙間の方が大きいくらいになってしまっている。
「思いっきり食ってみたかった。腹いっぱいなんて言葉を知らない。」時代があった。
高校を卒業すると高度経済成長の戦士と化した。
「自分で稼いだ金で何を食おうが俺の勝手だ。」
食えないという事が如何に惨めで見窄らしい事であるか身を持って知っている父だった。
「食いたい時に食いたいものを食いたいだけ食らう。」
この思いを抱いていたのは父に限った事ではないが実行してしまうか、しないかで後の運命が大きく変わってしまうのだった。
私の帰りを待たずして逝ってしまった父であったが、当日のことは後から聞いて知った。
私を府中競馬場に送り出したあとオープンしたばかりのショッピングモールに行く予定にしていた。
「遼平、まだ帰ってこないねぇ。」
母の言葉に父は「なぁに、競馬場に行けば2レースや3レースは観てくるものだ。」と答えている。
「遼平が帰ってくるのを待っていたらお昼過ぎちゃうわね。行ってきちゃいましょうか。」
「遼平が帰ってきたら父ちゃんがいないって泣きだすぞ。もうちょっと待っていよう。」
「何を言っているのよ。あの子、27歳よ。先に洗濯物を干してくるわ。」
母は父にそう言って2階のベランダに昇っていった。