第46話 母の最後の言葉
実家に到着して、車の助手席から降りようとしている母が「遼平、お父さんの実家からメロンが送られてきたから1つ持って帰って食べなさい。」と言われた。
父の故郷は北海道であり、送られてきたメロンは夕張メロンなのはわかっていたが「いらない、ひとりで丸々1個食べるなんてできないよ。誰か職場の人にでもあげた方が喜ばれるよ。」
そう言って断った。さらに
「明日の晩さぁ、母ちゃんの家で夕飯を食ってもいいかなぁ? 俺、明日、ものすごく忙しいんだ。そのあとにデザートでメロンを切ってもらえればいい。」
私の言葉を快諾して母は言葉を足した。
「じゃあ明日の晩は遼平の好きなものを作って待っているよ。そのあと、一緒にメロンを食べよう。帰ってこられるのは何時くらいになるの?」
「7時過ぎには帰ってくる。午前じゃあないよ、夜だよ。」
「わかっているわよ。じゃあ母さん、待っているからね。気を付けて帰るんだよ。ほんのちょっとの道でも事故は起こるんだからね。あと、あんまりお酒を飲むんじゃあないよ。さっさと寝るんだよ。明日、忙しいんでしょう。」
まったく口うるさい母である。
クルマの助手席のドアを思い切りよく閉め過ぎて大きな音が響いた。
母は振り向くことなく自宅の玄関に姿を消した。この言葉が母と疎通ができる最後の会話となるとは思えるはずさえなかった。
翌日の月曜日も真夏のような暑さの中を私は一切の放射線技師業務を放棄して外回りに出掛けていた。
私が作り上げた『遠隔画像委託システム』の発注元である医療機関のドクターたちにお中元配りをおこなうためだった。 郵送の方が簡単に済む、しかし直接、ドクターにお会いして手渡しする事でさらなる顧客の集客を目論んでいたのである。
わざわざお中元とお歳暮を手渡すする事で再訪問の機会を作り繋がりを維持させていく。もちろんクレームの対応もこの時におこなう。
医療画像は日進月歩であるから3ヶ月も経つと「もっと情報量のある画像を作れないかなぁ、例えばこんな風にさぁ。」と言われて見せられる医療専門誌には最新のMRI画像が掲載されている。
「次回からはこの撮影方法も加えさせていただきます。この画像の作り方は私も知っていますので、ご希望に合わせてご提供致します。」となる。
実はまったく観た事も経験した事もない画像だったりする。
昼に1度、勤め先の病院に戻った。昼食を取ることと、お中元の品をクルマに詰め込むためである。この時、事務長が私を見つけて「桑名ちゃん、お疲れさま。さっき奇妙な電話が君宛にあったよ。そちらの病院に桑名遼平っていう職員はいるかってね。また投資目的の勧誘だろう。」
この時代はなぜか判らないが放射線技師学校の卒業名簿が業者に流出していて、あの手、この手で投資話を持ちかけられてきていた。内容は小豆、小麦、都内のワンルーム・マンションのオーナーになりませんか、が多かった。
電話での対応は医療機器メーカーを装い、電話を取り継がせると言った営業スタイルが横行していた。それほど診療放射線技師は高給取りな時代があった。