第45話 オシッコが出ないというシグナル
異常が見つかった。
左の脳に1つ、右の脳に2つ、明らかに脳梗塞を認めたがこれは年齢から考えるとよくある無症候性の多発性脳梗塞と判断した。
時間は午後2時を過ぎていた。
「もう、疲れた。まだ続けるの?」と言う母の言葉と「あれ、桑名君、出勤しているんだ。」と声を掛けてきた看護師の言葉で、レントゲン室前を通り過ぎていく人の目がさらに気になり出してしまい、自分の中でも焦る気持ちが大きく膨らんで限界を感じていた。
その結果、ぐらつかせてはいけないものをぐらつかせてしまったのである。
私はもう一種類の撮影を予定していた、にもかかわらずおこなわなかったのである。
出来なかったのではない。忘れたのでもない。やらなかったのである。
「遼平、ご馳走するから、どこかのレストランに寄って夕食を一緒に食べて帰ろうよ。」
帰路の車中で、私は母の脳に小さな梗塞が3つあるが、どれも別段問題ではなく年齢相応であることを伝えた。
私の言葉に安心した素振りをみせる事はなかったが、母との夕食をレストランで共にするのは幼少期以来である事に気がついた。
「ここは俺が支払うべきかもしれない。」と思う気持ちを抱いて誘いを受けた。向かった店は寿司とトンカツと蕎麦を組み合わせたセット・メニューを売りにしているチェーン店だった。
朝、10:00から始めたMRIの検査、そして夕食を一緒にしているこの時まで、すでに10時間以上は経っていたが、母は1度もトイレに行っていなかった。たったの1度もである。
この夕食時にお茶を二杯飲んでいるし汁物だって口にして残してはいない。
「母ちゃんは本当にトイレ行かないんだねぇ。今日会ってから1回もトイレに行っていないよ。」
「朝、起きてすぐに1度行っているわよ。そのあとも遼ちゃんがくる前に行ったけれどもほとんど出なかった。あっ、でも今、ちょっとだけおトイレに行ってこようかな。」
そう言って母は座卓から立ち上がり店の奥にあるトイレに向かった。
「やっぱり、ほとんど出なかった。それにちょっとめまいもするから帰ろうか。」
母に促されて「じゃあ、帰ろう、俺がここの支払いはするよ。」と言って支払いを済ませたが帰宅の車中で「これ取っておいて。」と手渡されたのは1万円札だった。私が店で支払ったのは五千円にも満たない額なのに、今思うとその日の検査のお礼の気持ちが含まれていたのかもしれない。