第41話 低空飛行
ただでさえ国家資格を取得したことで金が湧いてあふれているところに高評価が加わり、時代はバブルの終焉をまだ迎えてはいなかったから私が得た給料は場末の飲み屋ではなく、いいオンナを揃えたスナックへと流れ落ちていくようになる。
そして私はこの時点でとんでもない間違いに気が付いていなかった。
自動車の営業時代に叩き込まれた成果のみが評価されるという思い込みを病院にも持ち込んでしまっていたのである。 MRIは1検査あたりで2万円近い診療報酬が得られる。 その7割は絶対に取りっぱぐれる事のない医療保険から充填されるから売り掛けも発生しない。それが月に300件以上もある。単純計算でも600万円の売り上げを達成している。
これを私ひとりでおこなっていると勘違いした。
もっとひどい事に「売り上げさえあれば文句はないんだろう。文句があるのだったら俺と同じだけの成果を出してから来い。」
自惚れもいいところである。しかしこれを本当に実行してしまったのである。
金は幾らでもある。当然だが美しいおネエちゃんを相手に毎晩、飲んだくれるようになっていった。
次の日の事なんて、いちいち考えて飲んではいない。出勤できれば出勤する、そして結果は必ず出す。 出勤しなくても帳尻合わせくらい簡単にできる。経験がそう思わせてくれていた。
自動車の営業職と医療従事者とでは根本が違うことをわかっていなかったのである。
まったく若気の至りでは済まされない、馬鹿丸出しの行動を実践してしまった。
アルコールと女体とによって膨れ上がった顔で仕事場に行き、そしてまたアルコールの連鎖。このバランスが低空飛行ながら保たれていたのはおよそ10年間だった。いや、もう少し長かったかもしれない。
病院勤務というものは時間通りに流れて終わる。
夕方の5時前には検査撮影を終了できるし、私ひとりくらいが休みを取っても想定の範疇で片付く。
仕事が終わる。18時前には場末のスナックのカウンターの定位置に私がいる。カラオケで盛り上げてやって、飲み屋の売り上げに貢献する。
20時ちょっと前になると飲み屋のママに頼んでタクシーを呼んでもらい、次に向かうスナックの開店時間に間に合うように移動する。 隣町にあるちょっと小洒落たスナックの1番客になるのがステイタスなのである。
この店も深夜2時には閉店してしまうので、またタクシーを呼んでもらって元居た場末に戻ってくる。これを毎晩、繰り返すのである。
この場末のスナックが林立する一帯は昭和の終わり頃まではごく普通の商店街だった。
私がこの町に移り住んだ頃には乾物屋があり、個人経営の本屋があり文房具屋が消しゴムひとつから売っていた。 ところがある年、関西系列の大手スーパーマーケットが進出してきたことで一斉に生き残りをかけて、水商売への鞍替えを余儀なくされたのである。