第40話 評価
翌日、私は仕事に行かなかった。厳密に言えば行かなかったのではなく、永久に行けなくしたのである。
無断欠勤であるから当然、所長から電話が掛かってくるだろう。2度と所長の声を聞きたくなかったから受話器の内部にある電話線を切断し、それが済むと近所のコンビニに行って髭がラベルに描かれている1番安いウイスキーのボトルを2本買って、朝から飲み出した。
アルコールを飲んでしまえば気持ちは落ち着く。怖いとか不安とか罵倒の言葉、そのすべてを忘れさせてくれる。
それに新聞に入っていたチラシの求人を手にした事で次の生き方を模索できる手段も手に入れたのだから、今はただ酔いの中に身を沈めて昨夜までの一切をまるで解毒するかのように飲み込んで酩酊し気を失った。
たまたま見つけた折り込み広告から職を得て三年目に放射線技師学校に入学でき、その年の六月に父が突然死した。 七年目に放射線技師免許を取得して自動車の営業職よりも大きい年収を手に入れる事ができるようになった。
この時代を振り返ってみると常に私は医師である経営者が何を考えているのかを先読みして行動していたように思う。当時の医療施設にはほとんど設置されていなかったMRIを使って利益を上げる。
そのためにはどうすれば良いだろうか。答えは簡単である。設置できない医療施設の患者を奪えば良い。奪い取るモノが患者そのものだと、後々カドが立つから患者の画像診断だけを奪い取るのである。
「私にご依頼をくださればこのような画像をご提供させていただきます。さらには専門医による意見書も同封してお返しいたします」と近隣の医療施設に売り込みを掛けてMRI画像と画像診断だけをおこなう。依頼していただいた他院の医師に、患者と一緒に画像付きで戻してさしあげる。患者を含めて三者にメリットをもたらす計画だった。
この計画の実行には自動車の営業職の経験が大いに役立った。初対面となる医師にでも平常心で飛び込み訪問ができてしまう。この耐性が私にはいつしか備わっていた。
「こんな土砂降りの中をわざわざ訪問営業しにきたのか?」とか「こんなに暑い日に外回りをしているのかい。桑名君って放射線技師なんだろう。経営者と縁故関係でもあるのかい?」
そう、わざと天候の悪い日、真夏の炎天下を狙って飛び込み訪問をおこなうのである。この方が印象に残るし、残された印象自体も良いものになる。確実にだ。
毎日、外回りの営業はできないから悪天候の日に行動をして、結果が得られた当日の夕方には必ず再訪問をする。
「先生、先日、ご無理なお願いをしたばかりなのに本日、さっそく画像を撮らせていただきました事に嬉しくて来てしまいました。これは私からの些細なお礼です。今後ともよろしくお願い申し上げます。」
これだけの行動とダメ出しの文言を言っておけばリピートしていただける。検査数は初月はたったの27件だったが1年後には1ヶ月あたりで270~300件になった。
私が働いている街には大病院が隣接して二つもある。その周辺には『おこぼれ頂戴します』と言わんばかりの個人が経営する医療施設が二百以上もある。
最大の成功はこの大病院のひとつへの出入りが許可された事だった。大病院というものは縦社会で横の疎通が非常に悪い。
例えば脳神経外科の初診に訪れた患者さんに対して「ではMRI検査で脳を詳しく調べてみましょう。」となっても検査できるのは2ヶ月先の予約になってしまう。 性急な病変が疑われた時に「そうだ、桑名君に頼めば今日の午前中でも撮影できてしまうはずだ。」と思い出してもらえる。
「桑名はすごい奴だなぁ。」が当時の私の評価である。当然ながら報酬も他の職員達よりグンを抜いて良かった。