第34話 別れ
気が付くとお昼に近い時間を短針は示していた。真由美はまだ眠っている。
ふと視線を感じ、そちらに目を向けると人が二人立っていた。
真由美の中学生になる次男と別居中の亭主であることは直感的にわかった。
真由美の身体に慌てて薄いシーツを掛け裸体を隠したが、なにがおこなわれていたのかを隠す事はできない。
「遼ちゃん、頭が痛い。」
そう言いながら起きた真由美の細めていた瞼が一瞬で、いつもより大きく黒目がちの瞳に変わった。
亭主と次男は何も言わず、私たちに背を向けて階段を下り、玄関のドアを閉める音だけが伝わってきた。
真由美との別れはあっけなかった。
進みたくもない道を歩いていくような感覚だった。
真由美の亭主はあの夜以降も全く、なにも言ってこなかったし姿も現さなかった。次男はあの日を境にして母親を「真由美さん」と、『さん』づけするようになった。
その事がなにを意味しているのかを二十歳をちょっとだけ超えた私にも理解はできた。
「遼ちゃん、あのね、話したいことがあるの。」
言われることはわかっていた。
「私の仕事って親に見捨てられた子供たちを受け入れて社会に出してあげることなの。みんな孤独よ、実の親から放置されているの。」
真由美の勤めている『子供たちの園』の話は何度となく聞いて知っている。
親がギャンブルにのめり込んでサラ金から借金を重ねた挙句、家庭崩壊し離婚を決意したまでは良いが、女手ひとつでは子供を育てられず施設に子を預けて再起を目指している。
「おかあさん、すぐに迎えにくるからね、それまで待っていてね。」
そう言い残したまま、他の男と行方をくらました母親。
アルコールに溺れて育児をまったく放棄し、行政に悟られて引き離され保護された幼児、事情なんて親の都合だけだ。
真由美の話は続いた。
「そういう仕事をしているのに私自身が養育を怠っている。自分自身の子を被害者そのものにしている。今のままなら養護施設で働く資格は私にはない。」
真由美の話は結論ありきだった。
真由美の自宅を去り、その後、彼女の住む自宅を訪ねた事は1度もない。持ち込んでいた荷物らしい荷物もなかった。あの時、私のまわりにいた人で私が真由美の自宅を去った事を悟れた者はいなかったと思う。
私は当時23歳か24歳だったと思う。二度と真由美に会うことはなかったと書きたいところだが、実はこの日から20年以上も経ったある日、偶然、自転車で帰宅途中なのであろう彼女に会っている。
私の母が最期の時を迎えようとしている病院への道で、赤信号につかまった車内にいる私の目の前を真由美はあの時のまま、赤い自転車に乗って元気そうに走って行った。
あとを追いかけたのだが車を停めておく場所を探しているうちに通り過ぎて行ってしまった。
でも「真由美は元気そうだ。」と感じたし、きっと私の勘は当たっていて今も元気でいるだろう。