第32話 黄色いバラを27本
夜の8時を待ってからビニール製の赤や青や黄色の、ものすごく丈が長い暖簾の垂れ下がった入り口から車で突っ込み、フロント係の中年女性に「この時間から宿泊できますか?」と念を押して聞いた。
私は休憩時間内に宿泊をすると休憩分と宿泊費の両方の金額が取られてしまうと思っていたのである。
部屋には小型の冷蔵庫とこれも小型のブラウン管テレビ、それと大きなサイズのベッドだけが置いてある。
テレビを点けると新潟の明日の天気予報が放送されていた。
「明日の上越地方は・・・」というアナウンサーの言葉に「新潟って3つに分かれているんだ。上、中、下だってさ、単純だな。」と自分に対して言っていた。
上から上越なのか、下からなのか、分からない。大体、ここってどこなのだろう。
私の独り言を一切、無視して真由美は「疲れたから寝る。」と言ってベッドに入っていった。
私は小型の冷蔵庫から缶ビールを取り出して一缶、また一缶とプルトップの音を立てて空けていった。
翌日はゆっくり起きて、高速道は使わずに一般道で直江津まで続く田んぼばかりの道を走らせた。
直江津の街は薄暗く、色で例えるならば灰色一色という印象が残っている。
直接、元、不倫相手のご実家に向かったのではなく、真由美に言われるがまま直江津駅に向かった。目的は花屋だった。
わずかばかりの軒を並べた商店の中に花屋があり、そこで黄色いバラを27本買った。27本すべてが黄色一色だった。
「なんで黄色だけなの?」という私の問いに真由美は「ジェラシーよ。」と答えた。
「嫉妬か。」
「嫉妬かもね。」
「なんでそんなにいっぱい買ったの?」
「彼が生きた年月の数よ。」
「若死にもいいところだな。」
「そうね。」
淡々とした答えしか返ってこない。
真由美はバラの花たちを車の助手席に置くと「ちょっと待ってて、電話してくる。」と言って公衆電話に向かって歩き出した。真由美の着ていたいたブラウスの色も黄色であった。
「どこに電話してきたの?」
車に戻ってきた真由美は花たちを自分の膝の上に乗せて助手席に乗り込み、私の方に顔を向け、ちょっとだけ笑みを浮かべていた。
「彼の実家よ。今、直江津の駅にいます、これからお伺いさせていただきます。って伝えてきたの。」
直江津からならおそらく30分くらいで到着できるだろう。
「実はね、同僚の女性と伺うっていう事になっていたの。でも、まぁいいかぁ。遼ちゃんでも、ご両親は不思議に思うだろうなぁ。」
「あのさぁ、俺って一体、何者になっているんだ?」
「さぁ、何者でもいいじゃん。不思議がるよね。」
真由美の性格そのものである。
実家に到着すると初老のご夫婦が待ち受けていてくれた。
ご自宅にお邪魔させていただくとお昼時と重なってしまい、寿司の出前を注文してくださっていた。非常に恐縮しながら食べた事を思い出す。
私はこのご夫婦のご子息とは一切、面識がない。全くのアカの他人に寿司をご馳走している事になる。
さらに、その円卓に「兄が生前、お世話になりました。弟です。」と親族が増えていき、挨拶ばかりが多くなっていく。さすがに気まずい思いが膨らんでいった。
「僕が兄のお墓までご案内いたします。車に同乗されますか、それとも後ろをついて来てくれますか?」
これ以上の長居は無用である。居心地が悪すぎるし、せっかくの新潟産の寿司ネタの味さえもわからなかった。
「僕らはお墓参りをさせて頂きましたら、そのまま高速道で帰宅致します。誘導してくださる後ろを車で付いて行きます。」
ご両親の顔に「この男はなにもの?」と書いてあった。