第12話 直談判
院長先生は自身専用の大きくて肘掛けが両方にある真っ黒い椅子に座るとタバコに火を付けて、2度ほど深く煙を燻らせた。
一見すると気を落ち着かせようとしているようにも受け止められるが、この状況を作り出したのは私だ。
「桑名くん、立ったまま話を始める気なのかい。接客用のソファーに座ったらどうだ。」
「ありがとうございます。お願いしたい事は給料の金額です。スタッフの誰にも言った事はありませんが、私は土曜日の深夜と日曜日の夕刻から0:00まで所沢インターチェンジ近くにあるラブホテルで、シーツ交換やお風呂掃除のアルバイトをしてきました。どうあがいても今の病院の仕事と、これから始まる夜学、アルバイトの掛け持ちは無理です。月曜日の朝には血圧が上がってしまい眩暈がします。どうか、お願い致します。アルバイトを辞めても生活できる給料にしていただけませんか?」
何度も脳みその中で反復練習した文言はスムーズに口から出てきてくれた。
「私も前々から桑名くんの給料設定は低いかな、とは思っていた。幾らあればいいんだ。遠慮なしで率直に言ってみなさい。」
ハマった。予定通りのお言葉だ。
「手取りで20万円あれば大丈夫だと思います。」
「おう、わかった。来月の給料からそうしておく。経理の誰でもいいから院長室に来るように言っておいてくれ。」
ここからが本題だが、私のペースで話が進んでいる安堵感も感じていた。
「先生、それともう一つお話しさせてください。」
「なんだ、次いでだ。聞くよ。」
「新座の病院からお誘いを受けました。もちろんお断り致しました。ですが先日、また電話を頂きまして、私が目指している診療放射線技師学校の必要費用を全額、ご負担くださるという内容でした。」
「お誘い」という言葉を使って二人の病院経営者にトリックを仕掛けた私の計画は見事に成功し、翌月から手取りで20万円をいただけるようになった。学費も入学金、教科書代、授業料の全額をご負担いただける約束を取り付けた。
絶対に放射線技師学校の夜間部に合格しなければならない。昼間部ではダメなのだ。
入学してからも留年は許されない。さらには国家試験も一発で合格しなければならない。頓挫は許されない。
幾つものプレッシャーが私に襲いかかってきたとも言えるが、結果から言えば33歳にして医療従事者の国家資格を取得できてしまった。
私の所持している資格証には厚生省時代の小泉純一郎の名がある。のちに所属政党をぶっ壊すと言って総理・総裁になられたあの変人が署名・捺印している。