第9話 帰りたくない
母の言葉を聞いて「ハッ!」として気が付いた事がある。
祖父が亡くなったのは逃げるように東京を去った仙台の地である。私も葬儀に行った記憶がある。記憶はあるのだが何故か、そこには祖母の実の子である克己おじさんの姿がないのである。無いばかりか喪主を務めたのは父であり、克己おじさんではなかった。そして仙台の地を離れるときに祖母に一筆書かされている父の事も思い出した。
➖遺産をすべて放棄し、克己に相続させる事に同意致します➖
父は祖父が使っていた杖を一本だけ持ち帰った。それだけが形見分けでもらえた唯一のものだった。
祖母の「北海道には帰りたくない」という願いは充分に理解できたし、我が家は家族をひとり失ったのだから私としては「バアちゃんが居たいんだったら、ずっと居ればいい。」であり、一緒に暮らす家族になってもらっても構いはしない。
この私の心情を母に言うと烈火の如く怒鳴り飛ばされてしまった。
「遼平、よく考えなさい。あなたの言っている事はお父さんを裏切る事です。ただでさえ、一家を支える父がおりません。それなのにいつボケるかわからない老婆を引き取りました。そんな家庭にあなたの結婚相手ができると思うの?あなたの人生が無茶苦茶になるだけよ。」
父は3人兄弟の長男だったから祖母にとって私は初孫ということになる。内孫ではないけれども父と克己おじさんの年齢差は相当離れていたので内孫同様に溺愛してもらえた。
「世界中で1番好きな人はだれだい?遼ちゃん。」と、この質問をよくされた事を思い出す。その度に私は正直に答えていた。
「バアちゃんが1番でママが2番、ジイちゃんが3番。」
「なんでジイちゃんが3番なんだい? 遼ちゃんの好きなモノをなんでも買ってくれるじゃあない。」
「だってジイちゃん、このまえ、練乳の缶をこぼした時に怒ったから3番なんだ。」
全くいい加減な順位であるが、母親より祖父の順位を入れ替えたい祖母も如何なものかと、今さら思う。
「あとね、バアちゃんはウルトラマンの絵をいっぱい描いてくれるから、やっぱり1番好きはバアちゃん。描いてよ、ねえ、ウルトラマン。描いてよ。」
あの頃は駄菓子屋というものがいたるところにあって子供達を騙して小銭を稼いでいられた。
駄菓子屋の突き出た店先の暖簾の掛かった天上から新聞紙で作られた紙の袋に入れられたウルトラマンの写真が5円引きとか10円引きという名前で売られていた。男の子ならだれもが通る道であった。
「つぎはこっちのウルトラマンを描いて!」
しつこい私に嫌気をさしたバアちゃんの放った一言に愕然となった事を覚えている。
「いやだよ、もういっぱい描いてあげたし、どうせ捨てられちゃうんだろう。それにウルトラマンの中には人間が入っているんだし。」
「違うよ、バアちゃん。ウルトラマンはM78星雲から来たんだ。正義の味方の宇宙人だよ。」
「じゃあなんで、ここにチャックがあるの?」
祖母が指差した写真のウルトラマンの背中には今で言うならファスナーが見て取れる。怪獣を肩に背負わせて投げ捨てるその背のファスナーはやや開いてもいた。
「ちがうよ、チャックじゃあないよ。ウルトラマンのオチンチン入れるところだよ。」
どちらにしてもチャックである。
「遼ちゃん、ウルトラマンもカネゴンもケムラーもみんなチャックがあるの。みんな人間が入っているの。」
今、思い返すと祖母の言葉は幼児だった私には残酷だったと思う。
祖母は二週間、我が家に滞在しその間の心配事といえば「皇太子様にお子が授かりますように・・・」だった。
我が家をあとにする祖母に私は生まれて初めてお小遣いを渡した。多分であるが一万円札を3枚渡したような記憶があるがはっきりとはしない。ただ、はっきりと自覚できた事は祖母に二度と会う事はないだろう・・・だった。
翌年、祖母は明け方、台所と居間の間の梁に縄をかけて首を吊ってしまった。