第1話 父との最後の言葉
1993年6月6日、日曜日、12:15PM 父が死んだ。
「おい、遼平、今日は府中に馬券を買いに行くのか?」
当時の私は苦学生だった。日中は隣町にある病院のレントゲン室で放射線技師の助手という肩書きを頂きながら夕方6:00から始まる診療放射線技師の専門学校に通ってた。
この年の4月に入学したのだから、まだ2ヶ月も経っていない。
助手の給料は手取りで12万円程度しかなく、土曜日の深夜0時から明け方の6時まで関越自動車道の所沢インターチェンジ近くにあるラブホテルでアルバイトをして小銭を稼いでいた。
この日は深夜からシトシトと雨が降り出して、梅雨の真っ只中に突入する一歩手前らしい、そんな思いを抱きながら明け方の畑道を自転車で帰宅した。
身体中に雨粒が付きまとっていて気分を悪くさせていた。自宅に着くとシャワーを浴びてバスタオルで充分過ぎるほど身体を拭いながら居間へ入ろうと足を進めた時だった。
突然、トイレから父が出てきた。こんな早朝から父が起きているとは思わなかったので少し驚いた。
「うん、いいよ。俺もアルバイト先の連中から頼まれて馬券を買いに行かなければいけないんだ。」
あの頃の優駿たちはみな個性的であった。トウカイテイオーが君臨し、ミホノブルボンは大逃げで勝ってしまう。この年、デビューした馬の中で非常に変な癖を持った一頭がいた。馬名をロイス・アンド・ロイスという。
この競走馬はどんなに相手が強くても掲示板を外さず5着までに入賞する。ところが未出走、未勝利戦にエントリーしても1等勝を他の馬に譲ってしまう。
4歳馬はその年の秋競馬までに1勝しなければ競走馬としての役目を果たす価値がないと判断され殺処分が待っているから命に期限が付けられている。この日の第4レース、未勝利戦に彼はエントリーしていた。当然であるが圧倒的な1番人気で単勝オッズは1、2倍だった。
ー今日こそは勝つよ。ここを勝たないと福島行きだし、今日、東京競馬場で結果を出すんじゃあないかな。争う相手もいないー
府中競馬場に向かうには時間が早すぎたのでコンビニで競馬専門新聞を買ってきて父と予想を交わしていた。父の選んだ馬券の中にマイスター・ジンガーという、これまた個性際立つ馬がいた。
この馬はお天気に左右される気分屋で晴天の青い空が大好きである。逆にちょっとでも雨が降っていると濡れるのが大っ嫌いで走る気力を失う。
「このレースにはマイスター・ジンガーはいらないよ。こいつ、雨だと外を出歩くのも嫌らしい。」
過去のデータがハッキリと表していた。
「本当だ、ダメだ、消しだ。」
今になって思い返すと父に何かを教えた記憶は後にも先にも、この時が初めてだったように思う。と言っても父に明日は来ないのだが、この時はまだ知る術もなかった。
朝の8時ともなると休日の朝とは言え外出する人の足音が少しずつ増えていき雨はいつのまにかやんでいた。
「そろそろ行ってくるね。先週の当たり馬券も換金してくる。」
「おう、頼んだ。帰ってきたら買い物に付き合え。」
これが父と交わした最後の言葉になった。