夢の中の魚
個人的に、この夢の中の魚が一番好きです。
あの時見ていた夢が、眠りの中で織りなされるまやかしの真実のことではなく、現に紛れ込んだ妖が忘れていった果実の一粒のように、実は本当である真実のことであったなら、歳月と共に輪郭がぼやけ薄れゆくあの時の夢が本当で、今の、たばこの煙に目をやられて、涙が零れ落ちそうになっている私の存在こそ偽りである。
あの時食い違ってしまった世界の一番片隅で、私は夜のまやかしである夢の世界、隣の世界を隙見している。もしくは夢ではない現の世界を隙見している。永く隣の世界を見つめていると、隣の世界を覗くレンズはだんだんとすりガラスのように屈折が大きくなってきて、はっきりと覗くことが出来なくなる。ぼやけて、ぼやけて、本当にあったはずの出来事が実は初めからなかったかのような、蜃気楼を素手で捕まえに行くような感覚になってくる。
夢の中の世界は目覚めたその瞬間にだけ、克明な現実として思い出すことが出来る。一秒、一秒と時間を追うごとに記憶はぽろぽろ崩れ出して、数分も経てばその輪郭を捉えることが出来なくなる。夢の世界は蜃気楼よりもぼやけ、刹那の幻として泡が弾けるように跡形もなく消えていく。雪崩のように崩れ出した記憶は、断片的な意識と反芻された言葉の一言だけを脳の隅に残し、自意識では思い出すことのできない透明な記憶の塊となって、脳の深くに息衝く。
夢の世界で獲得した経験が、目覚めたときにだけその温度と共に思い出されるわけだが、やがて熱は冷め、屈折の大きな景色は見えなくなり、透明な記憶の欠片となって脳の海を漂う。
眠りに就く度、夢の世界に渡る度、透明な記憶が脳のあちこちで増え、ついに尾鰭と背鰭を使って泳ぎ出す。脳のあちこちにあって、眠りに落ちるその瞬間に海から陸へと勢いよく飛び出し、隣の世界へと私を誘う。この透明な魚こそが夢の正体なのだ。
私はこの透明な魚に訊いてみる、
「どちらが本当でしょうか」
魚は答える、
「夜の夢こそ真でしょう」
と。
お読みいただきありがとうございます。
夢の中の魚は「ムーンフィッシュ」シリーズの1つです。シリーズとしていますが各話完結となっております。
他にも「~の魚」という表題がムーンフィッシュシリーズですので合わせてお読み頂けると嬉しいです。この夢の中の魚を含め、~の魚で語られる「ムーンフィッシュ」以外の物語は、酔っ払いのために作られた道化話です。
「ムーンフィッシュ」という物語だけが真実です。