第九十八話 邀 撃 (ようげき) Ⅲ
「——おらああああああああっ!!」
響き渡る怒号にも似た叫び声に、少年ははじかれたように頭上を仰ぎ見ていた。
声の主は両手で抱えられるほどの大きさの鉱石を手にしたアシュヴァルだ。
迷いなく崖上から飛び下りたかと思うと、アシュヴァルは跳躍の勢いのままに、両手で把持した鉱石を異種の背目掛けて打ち付ける。
鉱石が強固な外皮を打ち砕く硬度を有するのかと不安を抱く少年だったが、想像に反するように、異種は身を大きくのけ反らせていた。
アシュヴァルが狙いを定めたのは、異種の背面そのものではなかった。
手にした鉱石はウジャラックの打ち込んだ円匙の把手を捉え、その刃先をより深くへと埋め込んでいた。
「▆▄▇█▇█▄▆█▂▆▇█」
「おい、暴れんなっ!! この野郎、おとなしくしやがれ……っ!!」
振り下ろされた鉱石は衝撃に耐え切れず千々に砕け散っていたが、異種にとどめを刺すには至っていなかった。
激しく身を暴れさせて抵抗する異種の背から振り落とされまいと、円匙の柄を握って耐えるアシュヴァルだが、このままでは先ほどのウジャラックの二の舞だ。
「アシュヴァルっ!!」
少年が名を呼ぶと同時に、崖上にもう一人の彪人が遅れて現れる。
「おい!! こいつを使え!!」
叫ぶが早いか、シェサナンドは手にした棒状の何かをアシュヴァル目掛けて放り投げる。
「——おわっ!? 痛ってえ! お前なあ!! もう少し加減ってもんを——」
暴れる異種の背にしがみ付いていたアシュヴァルは、調子外れの声を上げつつもシェサナンドの投げた鎚を片手で受け止める。
続く文句の言葉をのみ込んだ彼は、受け止めた鎚を手の中で滑らせ、柄を短く握り直した。
左手を添えた円匙の把手を、右手で振りかぶった鎚で軽く打つ。
「初めは優しく、それから——」
荒ぶる異種に揺さぶられながらも、アシュヴァルは至って冷静な口調で言う。
「——おらよっ!!」
頭上高く振り上げられた二度目の鎚は、気合の叫びとともに力いっぱい円匙の把手に振り下ろされる。
がきんと金属同士のぶつかり合う音が響くと同時に、体内深くまで円匙を押し込まれた異種は再び大きく身体をのけ反らせる。
「█▆▄█▄▆▂▆█▆█▄▂▁▂▁」
異種は断末魔じみた金切り音とともに小刻みに身を震わせ、轟音を響かせながら大地に沈んでいく。
「——最後は思いっ切り、ってな」
ひと足早く背から飛び下りていたアシュヴァルは、巨体が沈み込む様を鎚を肩に担ぎながら眺めていた。
誰にともなく呟くと、手にした鎚を放り出し、ゆっくりと後方を振り返る。
「アシュヴァルっ!!」
少年は微笑とも苦笑ともつかぬ笑みを浮かべる彼の元に駆け寄ると、勢いよく懐に飛び込んでいく。
「待ってたよ……! 来て——来てくれたんだ……」
「そりゃあよ……」
答えて困惑の表情を浮かべ、アシュヴァルはため息交じりに頭を抱える。
少年がいったんの落ち着きを見せるのを待って、その身体を強引に押しのけた彼は、いかにも不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。
「……お前、なんか言うことあるよな?」
「言う——こと……? うん、ある——あるよ! ありがとう! 来てくれて、助けてくれて、本当にありがとう!!」
「や、そうじゃねえだろ……」
懸命に感謝を口にする少年を見下ろし、肩を落として嘆息する。
「あー!! ……ったくよ!!」
続けていら立ちをあらわに頭頂部を荒々しくかきむしったアシュヴァルは、ねめ上げるような視線を崖上に投げる。
彼に倣って目線を移せば、そこには背を預け合って座り込むイニワたち三人の姿が見て取れる。
深く傷ついていながらも、三人が三人ともどこか晴れやかな表情をたたえているのは、決して見間違いなどではないだろう。
シェサナンドもまたその場にしゃがみ込み、不服そうな表情で崖下を見下ろしていた。
「……そろいもそろって莫迦野郎ばっかりだぜ」
心底あきれたふうに吐き捨てると、再び少年を見下ろしたアシュヴァルは、湧き上がる腹立ちを押し殺すような口ぶりで続ける。
「……中でもよ、一番の莫迦はお前だ。おい、忘れたなんて言わせねえぞ。待ってろって言ったよな。任せろって言ったよな? うそつくなって言ったよな!? 俺に言わずに勝手なことするなって言ったよなあっ——!!」
「ご、ごめん!! その、本当にごめん……!!」
襟元をつかみ上げてまくし立てるアシュヴァルの剣幕に気おされ、思わず身をすくめる。
謝罪の言葉を繰り返していた少年の目が、アシュヴァルが手を振りかぶるところを捉える。
殴られる——そう思ったときには、拳はすでに眼前へと迫っていた。
とっさに目をつぶるが、どれだけ待っても衝撃は訪れない。
恐る恐る片目で確認すれば、視界に映ったのは顔の前で寸止めされている拳だった。
「アシュ——」
名を呼ぼうとした瞬間、親指で抑え込まれた中指が額をはじく。
「——いたっ……!!」
襟元をつかむ手から解放されたことで、両手で額を押さえてうずくまる。
脈打つような痛みにうめき声を漏らすが、それでも彼が手心を加えてくれているのは明らかだ。
彪人たちが、指先に鋭い爪を忍ばせていることを知っている。
本気で額を打たれれば、薄紙のような皮膚などたやすく切り裂かれてしまうだろう。
諦念さえ感じられる表情を浮かべて深々と嘆息すると、アシュヴァルはうずくまる少年を見下ろし、吹っ切れでもしたかように相好を崩した。
「——よくやった」
言ってアシュヴァルは、前腕を突き出してみせる。
突然のことに、そのしぐさの意図を理解できずにいた少年だったが、しばしののち、頭の中に幾つかの光景がよみがえってくる。
「あっ……」
彪人の里を訪れた際、アシュヴァルはバグワントとそんなふうにしてあいさつを交わしていた。
ラジャンとバグワントも、シェサナンドも、ヌダールもエッシュもヴァルンも、彼ら以外の彪人たちも、そうして再会を喜び合い、互いの強さをたたえ合っていた。
「……こ、こうかな?」
立ち上がってかしこまるように姿勢を正した少年は、遠慮がちに突き出した前腕を、アシュヴァルの腕と交差させるように打ち合わせた。