第九十七話 邀 撃 (ようげき) Ⅱ
自ら呼び込んでおきながら、予想していたよりも早い異種の接近を受け、背筋の凍る思いを禁じ得ない。
剣先を前方に突き出しながらの後ずさりをしつつ、少年は積み上がった岩を踏み崩して迫る異種と崖上とを交互に見やった。
「うわあああっ!!」
見よう見まねで剣を振り回すが、異種は委細構わず距離を詰めてくる。
苦し紛れにひねり出した、策とも言えない策を実行に移すためには、これ以上異種を前に進ませるわけにはいかない。
誰もいない崖上を祈るような心持ちで再び見上げると、何もかも放り出して逃げ出してしまいたい思いをぐっとこらえ、両手で固く握った剣を異種の頭部目掛けて突き出した。
「やあ——っ!!」
刃が対象に届くのを待たず反射的に目を背けてしまうが、刀身を通してつ確かな手応えが伝わってくる。
薄目を開けて自らの放ったひと突きの成果を確認する少年の目に、異種の頭部に突き立った剣の刃が映った。
「やっ——あ……」
思わず快哉を叫びそうになり、まだその段ではないと慌てて口をつぐむ。
落ち着いて素早く刃を引き戻し、続けて大上段に振りかぶった剣を十字鍬の要領で振り下ろす。
「はっ——!!」
剣は異種の頭部に対し、狙いをたがえることなく三度目の斬撃を見舞っていた。
「▇▆▄▂▆▇█▆▇█▄▂▆▇█」
頭部を切り裂かれたことにより、金切り音を上げて身を震わせる異種だったが、初めて振るう見よう見まねの剣術で与えられる傷はごく浅い。
動きを止めるには至らず、暴れる異種に押し込まれた少年は、一歩、また一歩と後退を余儀なくされていた。
「まだ、まだ駄目だ……!!」
前方へ切っ先の定まらない剣を突き出し、後ずさりながら頭上を仰ぎ見たそのとき、待ちわびていた者たちの姿を崖の上に認める。
「ま、間に合った……!!」
崖上にあったのは、山のように鉱石を積み込んだ貨車を押すイニワとウジャラックの姿だった。
怪力のイニワをもってしても押し返すことができず、手にした剣でも仕留めることができないならば、より大きな力でもって息つく間もなく一気に片を付けるより他に手段はない。
そしてこの鉱山には、おあつらえ向きに強度と重量を備えた物質がごろごろと転がっているではないか。
利用価値の低さから廃棄するより他になく、掘り出されはしたものの、ただ打ち捨てられるだけの岩たち。
そんな大量の砰を積んだ貨車を崖から落とし、重量をもって異種を押しつぶす。
少年の考えた、極めて単純な起死回生の一手だった。
「イニワ!! ウジャラック!! 今だ、お願いっ!!」
好都合なことに、異種は崖の真下に位置している。
以前に鉱車押しの仕事を務めた際、振り落とされた石がどんな軌道をたどって落下していくかは目にしていた。
石を落とすたびに恐る恐る身を乗り出したのは、自身が下敷きになっていたかもしれないという恐怖感からだ。
だが今だけは、瞼の裏にくっきりと焼き付いたその光景がただ一つの道しるべだ。
穴だらけの計画に訪れた、千載一遇の好機を逃すわけにはいかない。
「今だよ!! 落として——っ!!」
崖上に向かって再度大声で叫ぶ。
「お願いっ!!」
声が届かなかったのかもしれないと、今一度絶叫にも近い声を張り上げる。
だが、イニワとウジャラックは貨車を押す姿勢のまま微動だにしなかった。
「あ——あれ……? もしかして——」
呟いたところで、自らの立てた計画のほころびに気付く。
高い持久力と剛腕とを有するイニワにとって、貨車を押すことなど造作もない作業だっただろう。
そこにウジャラックが加われば、いかに大量に鉱石を積み込んでいたとしても、状況はそれほど変わっていなかったに違いない。
だが、それはあくまで二人が無傷の状態であればの話だ。
傷ついた彼らでは、無数の石を積んだ貨車をここまで押してくるだけで精いっぱいだったのだ。
満身創痍のイニワたちの押す貨車は、軌框の端にある車止めに阻まれ、動きを止めてしまっていた。
「……だ、駄目だ」
異種は数度にわたって斬り付けられた頭部から体液を漏らしながらにじり寄る。
これ以上前に進ませれば、貨車の落下地点から大きく外れてしまう。
たとえ二人が貨車を崖から落とすことに成功したとしても、そこに標的が存在しなければなんの意味もない。
「やるしかないんだ……!!」
覚悟を決め、思い切り息を吸い込む。
異種を正面から見据えると、少年は喉が張り裂けんばかりの絶叫を放った。
「……うわああああああああああっ!!」
半ば自棄気味に剣を振り回し、迫る異種を押し返さんと試みる。
崖上の二人を信じ、時間を稼ぐことがこの瞬間にできる自分の全てなのだ。
でたらめに振るう刃は異種の外皮をそぐが、歩みを止めるには至らない。
そればかりか、勢いに任せて接近してしまったところを、横なぎに振るわれた前肢が襲う。
「うわあっ!!」
足を滑らせて転倒したことで、幸いにも振り払われた肢から逃れることができた。
急ぎ身を起こして進退に迷う中、少年はふと手と足を止める。
見上げた崖上に、いるはずのない人物の姿を認めたからだ。
「ベシュクノ……!?」
折れ曲がった片翼を力なくぶら下げた嘴人が、イニワたちと共に残された一枚の翼で貨車を押していた。
それが最後のひと押しとなったのだろう、車止めを粉砕した貨車が三人の手を離れ、崖下へと落下する。
直後、辺りに天が落ちたかのような轟音が響き渡り、一帯を包み込むほどの土煙が巻き上がる。
とっさに後方に飛びのいていた少年は掌で口元を覆い、せき込みながら土煙が静まるのを待った。
数十秒ほどが経過し、土煙の収まったその場所には、貨車と鉱石に押しつぶされる形で動かなくなった異種の姿があった。
崖上ではイニワとウジャラックがぼうぜんと眼下を見下ろし、ベシュクノは力を失ったように崩れ落ちている。
四人で力を合わせ、アシュヴァルらの到着を待たずして異種を討ち取ったのだ。
総身から力が抜けていく感覚に、少年もまたその場にぺたりと座り込んでしまった。
「……や、やったんだ」
貨車に押しつぶされた異種を、少年はふ抜けたように眺める。
目に映ったのは、にわかには信じ難い光景だった。
「▁▂▁▂▆▇█▆█▇▆▄▆▇█▆▇█▄▆▇█」
大地に伏していた異種は、背に伸しかかった貨車や鉱石を身をひねって振り落とすと、大きく上体を起こして金切り音を発する。
耳をつんざく叫びに思わず眉をしかめた少年は、凍り付いたようなうつろなまなざしで異種を見上げる。
「あ——」
次に打つべき手など思い付かず、逃げようにも脱力した身体は言うことを聞かない。
文字通り崖っぷちに追い込まれ、今度こそ死を意識する。
つり橋のたもとで待ってくれているであろう少女の姿が胸中をかすめる。
迎えに行けなくてごめん、約束を守れなくてごめん。
そう心の中でわびようとした瞬間、少年は崖上から響く聞き覚えのある声を耳にしていた。