第九十六話 邀 撃 (ようげき) Ⅰ
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「ま、あれだな。数相手の喧嘩ってのはよ、場を制したもんの勝ちなんだ。まずは一番弱そうな奴に——こう一発くれて伸しちまうのさ。そこで顔色変えちまうような奴らなら、そこでもう勝ち負けは決まったようなもんだからな。あとは強いも弱いもねえ、一人ずつ引っ張り出して打ちのめしてやればいいだけだ」
酔いが回っているのだろう、さも得意げな調子でアシュヴァルは語る。
「逆に強い奴から狙うってのもありっちゃありだ。考えようによっちゃ悪くねえ。頭を倒しちまえば、下っ端連中が総崩れになることもあるからよ。そうなったら後はこっちのもんだ。それ以上続ける必要もねえかもな」
「それはどっちが正解なの……?」
酒杯を傾けるアシュヴァルを眺め、純粋な疑問として尋ねる。
倒すなら弱い者から。
だだし、強い者から倒したほうがいい場合もある。
彼の口から語られる内容が、少年からすれば不整合にしか思えなかったからだ。
「——ん? どっちがいいかは……ま、時々だな。取りあえず最初にしなくちゃなんねえのは、自分と相手の力の差を見極めることだ。それでまあ——なるようになるって感じかな。……んー、うまく説明できねえや。俺なんかは考えるより先に身体が動いちまってるからよ!」
突き放すように言い、呵々として笑う。
その様を前にして今一度頭をひねると、少年は考え込むように呟いた。
「自分には難しいや。それに自分は……できるなら喧嘩はしたくないかな」
「そうだよな、そうだったよな!! お前はそういう奴だったよ!!」
アシュヴァルは一瞬表情を固まらせたのち、少年の背をたたきながら愉快そうに笑う。
「けどな——」
続けて口を開いた彼の表情は、まるでしらふに戻ったかのように落ち着いていた。
「——生きてりゃよ、嫌でも望んでなくても戦わなきゃならねえときってのは必ずくるもんだ。強さでしか正しさを証明できない場面ってのがな。そんなときはなんも考えずにぶち当たるしかねえ。なりふり構わずあるものなんでも使ってよ、そんで思う存分悪態ついて、満足いくまで暴れてやろうぜ」
「う、うん……」
「悪い悪い、悪かったよ!! だからそんな顔すんなって!!」
不安げにうなずく少年の肩に手を回しながら、笑い飛ばすようにアシュヴァルは言う。
「言っただろ。お前は俺が面倒見てやるって!! 安心しろよ、お前が困ったときはいつでも俺が守ってやっから!!」
「……うん、ありがとう」
なぜか正面から視線を受け止めることのできない少年は、肩に回された厚みのある掌に目を落とし、ささやくような小声で感謝の言葉を告げた。
◆
異種を引き付けるようにして走りながら、いつか交わしたアシュヴァルとの会話を思い返す。
イニワとウジャラックと自身、あの場にいた三人の中で一番弱いのが誰であるかは疑いようもない。
異種がアシュヴァルら戦士たちと同じように、本能に従って真っ先に狙うとすれば誰になるだろうか。
そんな考えを経て取った行動だったが、思惑通りに異種は狙いを最も脆弱であろう個体に定めてくれた。
うまくいく保証など毛ほどもなかったが、真っ向から対峙したときから感じていたことが一つある。
それは放たれる敵意や害意といったものが、イニワでもウジャラックでも、後方で避難を進める抗夫たちでもなく、常に自身に向かって注がれているような感覚だった。
目算たがわず、異種は自身を選んだ。
人を襲い、食べるという——異種。
もしも自身が一番に狙われる理由が存在するとしたなら、身を覆う毛も鱗もなく、食べるのに邪魔になりそうな角や牙も持たないからだろうか。
「も、もう少し——!!」
息を切らせて走りながら自らを鼓舞するように呟き、鉱山の裏手に向かって延びる軌框に沿って走り続ける。
アシュヴァルの言っていた、そのとき。
好む好まざるにかかわらず戦わなければならないときが、こんなにも早く訪れるとは思いもしなかった。
守ってくれると言ってくれたアシュヴァルはそばにはいない。
伸ばされた手から擦り抜けたのは、誰でもない自分自身なのだ。
だからこそ、自ら進んでその道を選んだからには、戦うことを迷っている暇などありはしない。
必ず帰るとの約束を守って再び少女と顔を合わせることができるように、故郷で待っているであろう家族からイニワを奪うことがないように、生きることを教えてくれた鉱山とそこに暮らす人々を守るために——戦うべきときは今だ。
己の身が異種を引き付けると知った今、最後の武器は自らの身体一つに他ならない。
満足に扱えない以上、剣以外の手段を使うより他にこの場を切り抜ける手段は存在しないだろう。
「うわっ……!! ——っと!!」
脇目も振らず走る中、つまづいたのは足下に放り出されていたひと振りの鎚だ。
すんでのところで転倒は免れたが、均衡を欠いて崩れた体勢を整えるために速度を落とすことを余儀なくされる。
慌てて後方を見やれば、異種は先ほどよりも距離を詰めてきている。
転がった鎚を振り返り際に一瞥した少年は、憤懣を噛み締めるかのように呟いていた。
「みんな片付けしないから、もう……!! 」
異種に後ろを向けて懸命に走り続け、ついに目指していた場所へとたどり着く。
足元は切り立った断崖、眼下には無数の鉱石の山。
そこはあの日、荒野をさまよった果てに流れ着いた場所——不要な捨石を廃棄するための集積場だった。
「よし……っ!!」
崖際すれすれで足を止め、意を決して崖下へと飛び下りる。
山を成すように積み上がった捨石は、斜面や階段の形を取って崖下へと続いていたが、足場として使うには不十分だった。
何度も滑り落ちそうになりながら、積み重なった不安定な岩々を飛び移るようにして、下へ下へと下っていく。
「あ……うわあっ!?」
最後は飛び下りるというよりも転げ落ちると表現した方がふさわしいありさまだったが、どうにか崖下へとたどり着く。
振り返って見上げれば、崖の上には目のない頭部で下方を見下ろす異種の姿があった。
「自分はここだ!! さあ、来い!! 下りてくるんだ!!」
剣を振り上げ、挑発を繰り返す。
もちろん異種に言葉が通じるなどとは思っていない。
耳やそれに類する器官の見当たらない異種が音を聞き取っているかは疑問だが、大きな身ぶりで騒ぐことで関心を植え付ければ、引き付けることくらいはできるかもしれない。
そんな考えの元に、少年は力の限り声を上げ続けた。
「来る……!」
もくろみ通り、異種は崖を駆け下りてくる。
四本の肢で左右に折り返すように斜面を蹴ったそれは、瞬く間に少年の眼前に身を躍らせていた。