第八十九話 急 使 (きゅうし)
空を飛ぶ嘴人たちの姿は鉱山で暮らす日々の中で見慣れていたが、今の彼らの様子はそのときと何かが違っていた。
飄々として捉えどころのない気性を有する者の多い嘴人たちにしては、どこか余裕の感じられない飛行ぶりに、いくばくかの不安を覚える。
「——ありゃあ、ベシュクノのとこの奴らだよな」
「……うん」
傍らのアシュヴァルが、上空を見上げて言う。
ベシュクノの取りまとめる風廻したち、彼らとは幾度か一緒に仕事をしたこともある。
距離があるため顔かたちまでは判別できなかったが、確かに羽毛の色に見覚えのある者の姿も幾人か見受けられた。
見上げる先で四方に散開した嘴人たちは、めいめい地上へと降下していく。
そのうちの二人が、少年とアシュヴァルの前方に降り立つ。
前のめりの姿勢で着地した彼らは、広げた翼をしまう暇さえ惜しいといわんばかりの慌ただしさで駆け寄ってくる。
「ア、アシュヴァルさん!! それに——」
「君、戻ってきたのか……!?」
舞い降りた二人の嘴人は、信じられないといった様子で少年とアシュヴァルの顔を見比べる。
二人の尋常ではない慌てぶりから異常を察したのだろう、アシュヴァルは言葉短く尋ねた。
「おい、何があった」
答えを返そうとする二人だったが、膝を突いてえずくようにせき込んでしまうのは、脇目も振らずに飛んできたからだろう。
傍らに屈み込んだ少年が背をさすると、二人は肩を上下させながら息を切らせて話し出した。
「聞いてください!! い、異種がっ!! 鉱山に——異種が出て……それで——!!」
「抗夫たち皆で食い止めていたが……もう——!!」
「え……」
二人の言葉に、少年はがくぜんとして目を見開く。
ローカが異種の接近を未然に察知してくれたからこそ、彪人たちと共にこの場所に舞い戻ってきた。
わかっていたことだが、いざ実際に出現を知らされると、驚愕を禁じ得ない部分もある。
とっさにアシュヴァルを見上げたが、彼は至って冷静な表情で嘴人たちの話に耳を傾けていた。
「町の方に——なだれ込んでくるのも時間の問題だからって——だから……!!」
「ベシュクノさんが……嘴人たちで知らせに行けと——」
そこまで言うと、嘴人の一人は涙目になって少年の腕にすがり付く。
「頼む……!! このままじゃみんなが!! 信じてくれ——!!」
「も、もちろんだよ! 信じ——」
助けを求める嘴人に向かって答えようとしたところで、不意にアシュヴァルの視線が上向く。
「……信じるも信じないもないみたいだぜ」
忌まわしげな声音で呟く彼が見据えるのは、往来から続く鉱山の方向だ。
身を起こしつつ、彼の視線の先をたどって少年が見たのは、町へと続く勾配を砂煙を巻き上げて下ってくる異種の集団だった。
「あ、あれは……」
あぜんとして言葉を失っているのは少年だけでなく、二人の嘴人も無言で身を震わせている。
周囲に危機を告げ回る声が響くと、次いで逃げ惑う人々の悲鳴や叫声が上がり始めた。
着実に町へと迫る複数の異種の姿は、確かにローカの力を通じて見たそれらと同じだった。
堅固な外皮に覆われた身体とそこから伸びる四本の肢と尾、頭部と呼べる部位には目も鼻も耳もなく、口に似た器官だけがぽっかりとうがたれている。
——無貌の怪物。
ふと、そんな言葉が脳裏をよぎる。
改めて目の当たりにする異種という名の生き物を前にして湧き上がってきたのは、言い知れぬ恐怖と、得体の知れない未知の存在に対する底知れない不安の念だった。
まるで金縛りにでも遭ったかのように動けない少年の脇を、一人の彪人が音もなく通り過ぎていく。
「ラ……ラジャン——」
他の彪人たちよりも毛足の長い被毛をなびかせて歩む里長ラジャンの背を、少年は半ば放心したように見詰める。
彼に随伴するように、他の戦士たちも次々に歩を進めていく。
脇を通り過ぎるヌダールは拳で軽く少年の肩を突き、安心させるかのように微笑んでみせる。
しんがりを務めるバグワントは二人の嘴人たちの眼前で立ち止まると、怯える彼らを見下ろし、ねぎらうような口調で言った。
「後は俺たちに任せ、お前たちは町の者らを逃してやってくれ」
互いに顔を見合わせ、うなずき交わした二人は、脇目も振らずに飛び去っていった。