第八十八話 一 帰 (いっき)
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辛くも里長ラジャンに異種討伐の依頼を取り付けることができた少年は、彼の率いる彪人の戦士たちと共に、数か月を過ごした鉱山へと向かっていた。
負傷の激しいアシュヴァルとシェサナンドに対し、ラジャンは「里に帰れ」との命を下すが、二人は断固として下知を受け入れようとしなかった。
強い求めに折れたのか、あるいは言っても聞かないと知って諦めたのか、ラジャンは二人に対して「遅れることは許さん」とただひと言だけ告げた。
傭兵の仕事を申し入れたからには、当然ながら依頼者も現地に向かわねばならない。
だが、少年の足では彪人たちに付いていくことなど到底不可能であるため、バグワントの背に負われる形で行動を共にする運びとなった。
アシュヴァルに負われていた際にも感じたことだが、森の樹々の合間を縦横無尽に駆ける脚力と、岩や崖を自在に飛び移る跳躍力は卓抜している。
本領を発揮した彪人の運動能力に、改めて驚嘆せずにはいられない
どんな相手から逃げようとしていたのかを思い知らされるとともに、そんな彼らから数日間にわたって逃げ果せることができたのも、ローカの力あってこそだと強い感慨を覚えていた。
ローカを残してきたことに心残りがないわけではない。
肩掛け袋を預けはしたが、携行食は残りわずかだ。
彪人たちの仕事を見届けたのちは、一刻も早く彼女の元へ戻らなくてはならない。
鉱山に向かう道中、バグワントの背に負われた少年は幾度となく後方を振り返った。
先陣を切って走るラジャンから遅れながらも、なりふり構わず追いすがるアシュヴァルとシェサナンドの姿がそこにある。
傷ついて足の鈍った二人は、なんとしてでも置いていかれまいと、先を行く集団に必死に食らい付いていた。
◇
休憩もほどほどに丸二日をかけて山を駆け、一行が鉱山の裾野に広がる町へと到着したのは、出発の翌々日の日暮れ前のことだった。
一攫千金を求めて働く抗夫たちと、彼らに食事や物資を供給するためにやって来た商売人たちが集まることで徐々に形作られ、今なお日増しに拡大している鉱山の麓の町。
少年にとってはアシュヴァルと共に半年間を過ごした、ある意味で故郷のような場所であり、応援してくれた仕事仲間たちの住む思い出深い場所でもある。
十字鍬と手押しの貨車に加え、輝く金の塊の図案を取り入れた看板の掲げられた門の先には、幾多の商店が並ぶ目抜き通りとでもいうべき見慣れた往来が走っている。
つり橋のたもとでローカと別れる際、彼女は異種が鉱山の町にたどり着くまでに二日ほどの猶予があるだろうと予測した。
彼女の見込みが確かなら、すでに異種の群れはこの鉱山に到達しているはずだ。
しかしながら、遠く往来を行き交う人々に目を向ければ、誰もが皆いつも通りの平穏な日常を送っているように見えた。
「バグワント、ありがとう」
礼を言って背から下り、辺りに視線を巡らせている彪人たちを追い越すようにして門をくぐる。
速足で村の中へと足を踏み入れ、周囲を見回しながら異種の姿を探した。
「やっぱりどこにもいない。間に合ったのかな……」
安堵を覚える部分もあったが、手放しで喜ぶ気分にもなれなかった。
ローカが予測を誤る可能性もないとはいえず、むしろこの場合は彼女の力を通して見た光景が何かの間違いであってくれればいいとも思う。
「なあ、おい! 異種なんてどこにもいやしねえじゃねえかよ! わざわざこんなとこまで来たのによ、無駄骨だなんて勘弁だぜ?」
背後から肩を組むようにして話し掛けてきたのはヌダールだった。
心なしか気落ちした様子で言うと、彼は首を突き出した大げさなしぐさで辺りを見回した。
「最初っから不思議だったんだ。里長が決めたことだから何も言えねえけどさ、俺は怪しいって思ってたぜ」
続いてエッシュがいぶかしげに言えば、「俺もそう思ってた」とヴァルンが追従する。
「で——どうなんだよ、本当のとこは。お前、なんであんなこと言ったんだ?」
肩を組んだままのヌダールが言うと、彼以外の二人も取り囲むようにして少年の答えを待つ。
「ええと、その……あれは——」
どう答えればいいのかと、言葉を詰まらせる。
ラジャンをはじめとした彪人たちのことを信じていないわけではないが、やはりローカの有する力のことは、彼女本人の同意なしに他者に明かしてはいけない気がする。
返答に窮して顔を伏す少年だったが、ヌダールはそんな葛藤などまったく意に介さない様子で言い放った。
「どうでもいいか、そんなこと!! なんもねえなら、なんもねえほうがいいに決まってるしな!!」
寄せる側と反対の肩をすくめてヌダールが言うと、エッシュとヴァルンも「違いねえな」「俺もそう思う」と同調する。
乱暴な手つきで少年を解放したヌダールは、エッシュら二人と軽口をたたき合いながら村の出入り口の方向へと引き返していった。
安堵を覚えつつ振り返ったところで目に入るのは、遅れてやって来たアシュヴァルが、ヌダールら三人と擦れ違う形で自身の元に歩み寄ろうとするところ、そして彪人たちの中にあって一人視線高く鉱山を見上げる里長ラジャンの姿だった。
ラジャンの表情にただならぬものを感じ、少年もまた今一度後方を振り返って鉱山を仰ぎ見る。
少年の隣に並んだアシュヴァルも、同じく視線を鉱山の方向へと傾けていた。
「あれは——」
上空を見上げて呟いたのは、鉱山の上空から飛来する何者かの姿を捉えたからだ。
当初は点のようだった飛行物は、近づくに従って徐々に姿形を鮮明に浮かび上がらせていく。
飛来するものの正体、それは激しく翼を打って飛ぶ数人の嘴人たちだった。