第八十五話 挺 身 (ていしん) Ⅱ
アシュヴァルとシェサナンド、二人の戦いを止めようと、少年はバグワントの腕の中で懸命に身をよじらせていた。
目の前で行われているのは、里の広場で見た稽古とはまったくの別物だ。
アシュヴァルが深く傷ついているのも、シェサナンドが激昂に駆られているのも、彼ら二人が戦わなければならないのも、全ては自身が原因だ。
下した決断が間違っていたと思いたくはないが、もっと熟慮を重ねていれば、避けられた戦いや流さずに済んだ血はあったかもしれないと省察する。
「アシュヴァル!! シェサナンド!! 駄目だ……!! やめ——」
叫び声を上げながら一層激しく身を暴れさせていた少年を、バグワントの強靭な腕が締め付ける。
「——お願——やめ……て——」
必死に声を絞り出そうと試みるが、喉元を圧迫する形であてがわれた手がそれを許さない。
思うように息もできない状態では、アシュヴァルとシェサナンドの争い合う様を黙って見ていることしかできなかった。
強気に攻め立てるのはシェサナンドのほうだった。
血気にはやって目の色を変えた彼は、どうにかしてアシュヴァルを捉えようと猛烈な勢いで続けざまに手を伸ばす。
「この——!! おとなしくつかまれてろよ!!」
首元を狙う掌を、アシュヴァルもそうはさせじと最小限の手さばきのみで受け流す。
余裕を失ったシェサナンドはますますもって執拗に手を伸ばすが、躍起になればなるほど攻め手は単調になっていく。
アシュヴァルはそこに生じた隙を見逃さず、身を屈めて一気にシェサナンドの懐へと踏み込む。
「——よっと、邪魔するぜ」
股の間に手を差し入れたと見るや、肩を使ってシェサナンドの身体を担ぎ上げる。
少年はバグワントの腕の中で目を見張り、ラジャンを除く周囲の彪人たちからも「おお」とどよめきが沸き起こる。
「お前っ……!! 何すんだ! 放せ! 下ろせよ!!」
最も驚いているのは担ぎ上げられた当人だったが、アシュヴァルは手足を暴れさせての抵抗を物ともしない。
「そんなに下りてえんなら——」
頭上高く持ち上げたシェサナンドの身体を、アシュヴァルは背中から思い切り大地にたたき付けた。
「おらよっ!! 下ろしてやらあ!!」
「——ぐあっ……!!」
したたかに身体を打ったシェサナンドは気を失って昏倒し、二人の戦いはアシュヴァルの勝利で幕を下ろす。
稽古のときと違って歓声を上げる者は誰一人いなかったが、場に居合わせた皆が皆、アシュヴァルの見事な戦いぶりに感心しているのは明らかだった。
あおむけに倒れたシェサナンドを見下ろし、アシュヴァルは言い含めるような口ぶりで呟く。
「……変わってねえように見えるのはよ、お前が変わってねえからじゃねえのかな。まだよくわかんねえけど、大事なのは変わった変わってねえよりも、多分変わりたいっていう気持ちのほうなんだ。少なくともそう思えるようになったぜ、俺はよ——」
見下ろす表情がどこか懐かしそうに緩んだそのとき、アシュヴァルは身体を前方に大きくかしがせる。
「ん——、——ぐ……!」
倒れ込みそうになる彼の名を呼びたくても、傍らに駆け寄りたくても、喉元をふさがれ、動きを封じられていてはそのどちらもかなわない。
身体を暴れさせてバグワントの拘束を解こうとするが、もがけばもがくほど締め付けは強くなる。
「——!! あ……!!」
声にならない声が口を突いて出たその瞬間、少年は自身に向けられるアシュヴァルの視線を感じ取る。
両足の踏ん張りを利かせた彼は、くずおれそうになる身体をすんでのところでこらえる。
どう見ても戦いを続けられる状態でないにもかかわらず、アシュヴァルはそんなことなど一顧だにしない様子で頭上に向かって叫びを上げた。
「お次は誰だ!? あんまり退屈だとまた眠っちまうぜ!! 早く掛かって来いって言ってんだ!! 次はバグワント、お前か!? それとも——」
周囲を見回しながら叫び続けるアシュヴァルだったが、はたと一点を見据えて口をつぐむ。
その視線の先に視線を移した少年が認めたのは、路傍の岩から腰を上げて輪の中央へ足を進める里長ラジャンの姿だった。
「乃公が相手では不足か」
目を見開き、口を開け放って見入るアシュヴァルに対し、ラジャンは涼しい顔で告げる。
「へっ、とんでもねえ……! 王様のお出ましとあっては、こっちも本気でお迎えするしかねえよな。それによ、あんたを倒せばこの場で一番強えのは俺ってことだ。いちいち一人ずつ噛んで含めて回るより、よっぽど手間が省けるってもんだぜ……!! 俺は間違ってねえ!! だから今ここであんたをぶっ倒して、俺の正しさを莫迦ども全員にわからせてやるっ……!!」
決死の形相で猛然と吼え立てるアシュヴァルだが、ラジャンはその勢いを平然と受け流す。
「震えているぞ」
「知らねえのか? こいつは武者震いっていうんだよ」
たき付けるように言うラジャンに、アシュヴァルも負けじと言い返す。
だが軽口とは裏腹に、アシュヴァルを包む空気が張り詰めていくのがわかる。
繰り返される深い呼吸とともに、全身の筋肉が弛緩と収縮を繰り返しているところが見て取れる。
息が詰まりそうなほどに張り詰めた緊張がはじけると同時に、アシュヴァルは全身を発条と化して躍り上がった。