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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第一章  彪 人(とらびと) 篇   第四節 「あてなき逃避行」
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第八十二話  天 眼 (てんげん) Ⅰ

「ローカ、大丈夫!? ローカ……!!」


 橋板と綱の隙間を擦り抜け、今にも谷底へ落下してしまいそうになる少女の手を引き、必死でその名を呼び掛ける。


「ぐっ——」


 力を込めて身体を引き上げ、自らも橋板の上に座り込むと、少年は彼女の身を抱え込むようにして支えた。

 見下ろす少女の呼吸は荒く、額には脂汗が浮かんでいる。

 掌でその額を拭おうとしたその瞬間、感じたことのないような不可解な感覚に見舞われる。

 激しい目まいと空えずきを覚えるとともに、不意に視界がぐにゃりとゆがむ。

 このままではローカもろとも谷底に真っ逆さまに転落してしまうのではないかという危機感から、無我夢中でひときわ強く彼女の身体を引き寄せた。


 直後、頭部の毛の合間からのぞく、ローカの左目が薄く開かれる。

 光を失った瞳から放たれる視線に見据えられる感覚を覚えたかと思うと、少年の意識は一切の前触れなく途切れる。

 次に気付いたときには、どういうわけかつり橋の上でローカを抱えている自身の姿を、上空高くから見下ろしていた。

 我が目を疑うものの、身体全体を使ってローカを覆い隠すように抱き締めているのは間違いなく自分自身だった。


 身体を離れた意識は空高く上昇し、つり橋と自身ら二人の姿を頭上から俯瞰する位置まで達している。

 はるか遠方に彪人の里や鉱山まで見渡せる高度まで舞い上がった意識は、嘴人の翼を得たかのように飛翔する。

 次いで上空から地面に向かって矢のように急降下したと思うと、驚くべき速度で樹々の合間を擦り抜けていった。

 川に飛び込んで水底を潜行したかと思えば、岩や小石の転がる山肌すれすれを勢いよく駆け上がる。

 そこが見慣れた鉱山近くの景色であることに気付いて懐かしさを覚えたのもつかの間、身体を離れた意識はさらに山深くへと向かって分け入っていった。

 そして、踏み入ったこともない深山の奥から姿を現す()()の姿を、身体を離れた意識は確かに捉えていた。


 樹々をなぎ倒し、草木を踏み分けながら現れるそれは、以前アシュヴァルが打ち倒したあの生き物——異種に他ならなかった。

 それもあのとき遭遇したそれとは比較にならないほどに大きい。

 いつかの個体の倍はあろうかという大きさの体躯を有した異種が、さらに驚くべきことに集団で山中を進んでいるのだ。

 一見した限りでも、その数は十を下らなかった。


 直後、再びぷつりと意識が途切れる。

 恐る恐る周囲を見回せば、そこは吹き上げる風に揺られるつり橋の上だった。

 垣間見たにわかには信じ難い光景に目を疑う反面、どこかで納得を感じている部分もあった。

 幻視とでも呼べばいいのだろうか、夢ともうつつともつかぬ体験が、腕の中でうっすらと目を開けて見上げる少女の見せたものであることを確信する。

 ローカが不思議な視覚を使って道を切り開いてくれていたことを改めて知るとともに、何がきっかけとなったのかはわからないが、彼女の見ている景色を自らも共有したであろうことも併せて理解していた。


「ローカ、今のは君が——?」


 呟く少年を、珍しく驚きをあらわにした少女が見上げる。


「見たの……?」


「うん」


 尋ね返す彼女に、肯定の意を込めてうなずきを返す。

 その詳細について尋ねたい思いは極めて強いが、いつまでも足場の不安定なつり橋の上にとどまっているわけにもいかない。


「ローカ、つかまって」


 声を掛けて少女に後ろを向け、軽く小さな身体を背に負った。

 身体同士を触れ合わせることで、先ほどと同様の現象に見舞われるかもしれないと身構えるも、今回は何事が起きる様子もなかった。

 首に少女の手が回されたことで、背に鉄の輪が触れる。

 無遠慮に存在を主張する首輪の質感を肌で感じれば、常にそれに縛られ続けた彼女の半生に、改めて強い憐憫を抱かずにはいられなかった。


 両手で固く手すりを握り、一歩一歩確かめるように足を進める。

 足を滑らせること数度、どうにか対岸へ渡り切ったところで、少年はローカを背負ったまま前のめりに倒れ込んだ。

 

「……ローカ。その——異種が近づいているの?」


 身を起こして向き直り、少女の顔を見据えて尋ねる。


「鉱山の方に向かってる——ってことだよね?」


 重ねての問いに首肯をもって応じたのち、少年の顔を見上げて少女は尋ね返した。


「信じる?」


 彼女の身に触れたことが基因なのだろう、少年自身も確かにその光景を知覚していた。

 こうして逃げ続けていられるのも、おそらくは彼女の有する不思議な力のたまものであり、ここでそれを信じないと言うことは、ローカ自身を否定することに他ならない。


「信じる」


 一分の迷いもなく即答する。

 たとえ彼女の持つ力を自らの身をもって体感していなかったとしても、その言葉を疑うつもりなど毛頭なかった。

 危険が近づいているとの忠告を受ければ、一も二もなく受け入れ、彼女の意に従っていただろう。


 立ち上がり、つり橋のたもとに歩み寄る。

 今ここで橋を落とせば、逃げ切ることのできる可能性は格段に高くなる。

 追っ手である彪人たちのみならず、鉱山を襲った異種が近くまで迫っていたとしても、通り道を断ってしてしまえばひとまずは安心だ。

 腰帯に差した剣の鞘に手を添え、息を殺して支柱から延びる綱を見据えた。

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