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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第一章  彪 人(とらびと) 篇   第三節 「山河を越えて」
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第六十九話  長 夜 (ながよ) Ⅱ

 アシュヴァルは依然として思い詰めたように押し黙り、いつになく真剣な表情で思案にふけっている。

 寝台の下からのぞき込むように横顔を見詰める少年にも、一向に気付くそぶりを見せなかった。


「……アシュヴァル」


「ん——? ああ、どうした」


 名前を呼んでみると、不意を打たれでもしたかのように声を上げた彼は、寝転んだまま顔だけを少年に向けた。

 なんとなしに声を掛けはしたものの、取り立てて今すぐに話したいことがあったわけではない。

 ただその横顔に言い知れぬ不安のようなものを覚え、気付けば呼び慣れた名を呼んでいた。


「そ、その……そう、バグワント——」


「あいつがどうかしたか?」


「う、うん。バグワント、優しいんだね……って」


「あー、まあな。昔っからああやって人の世話ばっか焼いてよ。やっぱりあれか、年の離れた弟がいるとああなっちまうのかな。毎度毎度お節介が過ぎるってんだ」


 ラジャンとの面会ののち、バグワントは実の弟であるシェサナンドに加え、アシュヴァルに対して抱く感情を率直に語ってみせた。

 明確な根拠があるわけではないが、語られる言葉にうそがないことは、表情や声音から、それに何よりも当人の人柄から十分に伝わる。

 得体の知れない存在である自身をも弟と呼んでくれたこと、それも決して間に合わせの方便などではないだろう。

 姿形も大きく異なり、身体面でも著しく非力な種である自身に、バグワントは彪人たちと共に暮らす道を示してくれた。

 それがどんなに有難いことなのか、骨身に染みて理解できる。


「……優しいのはバグワントだけじゃないんだ。シェサナンドも、アシュヴァルのことを大切に思ってる。ヌダールたちもそうだし、きっとこの里に住んでる人たちみんなが強くて優しいんだ——」


 ——アシュヴァルみたいに。


 喉まで出かかった言葉を、拳を握り締めてのみ込む。

 軽々しく言い放った言葉が負担になりかねないと考えれば、これ以上うかつなことを口走るわけにはいかなかった。

 現に今もアシュヴァルは、明日のことについて自身よりも深く考えを巡らせてくれている。

 もしもラジャンに対して思いを通すことができなかったとき、彼は他の誰よりも強く悔やんでくれるに違いないだろう。

 床に座ったまま寝台の端に手を添え、アシュヴァルの顔を見上げて尋ねる。


「明日が済んだら、その……アシュヴァルは、その後はどうするの……? 鉱山に戻る? それともバグワントが言っていたみたいに、やっぱりここに残ってみんなと暮らす……?」


「……んー、ちょっとまだわかんねえかな。さっきあいつに言われるまでさ、飛び出すときに家ぶっ壊しちまったことも忘れてたぐらいだしな。——だからよ、お前の問題がなんとかなったら、俺のことはそんときにまた考えるわ。だから取りあえずは明日だ。明日、もう一回里長に話を通してからだな」


「……うん。わかった」


 横たわるアシュヴァルに背を向けて、寝台の支柱に寄り掛かる。

 引き寄せた左右の膝を抱え込み、今一度問いを発した。


「アシュヴァルもさ、ラジャンよりも強くなりたいって思ってるの? シェサナンドは——いつか追い付くんだって言ってた」


「里長よりも強く——か。そりゃあ……いつかはな。そうさ、いつかは俺がこの手で——」


 寝台に寝転んだまま呟き、天井に向かって手を差し伸ばす。


「——引導渡してやりてえなって思いはある。厄介なことによ、俺もどこまでいっても彪人なんだって実感するぜ。そういう強さに対する憧れみてえなの——やっぱりここに眠ってんだなってよ」


 伸ばした手を下ろし、アシュヴァルは親指で自らの胸を示してみせた。


「強さ、憧れ……」


「ああ、そうだ。いつか話したろ? 俺たち彪人にとっちゃ強さと正しさはよ、乙甲おっつかっつ——ってのかな、ほとんど同じもんなんだ。本当の強さを持ってる奴はいつだって正しい。だから正しい奴は——強いんだ。自分の正しさを証明するには、強くなきゃならねえ。里長もそうやってこの集落をまとめ上げたんだ。あれだ、言ってなかったけどよ、里長はさ、元々この辺の生まれじゃなくてよ——」


 身を横たえたままのアシュヴァルが語ったのは、この地に彪人の里が興った経緯と、里長ラジャンの成し遂げた功績についてだった。

 まずもって初めに驚いたのは、現在彪人たちが暮らしているこの地が、はるか昔に異種によって滅ぼされた、なにがしかの種の集落の跡地だという事実だった。

 ラジャンはある日どこからかふらりと現れ、一人この地に住み着いたのだという。

 彪人は元来より尚武しょうぶの気質を有する種であり、中でも男たちにとって、強さとは特別な意味を持つらしい。

 年頃を迎えた男たちは修行や練武と称して集落を飛び出すのが常で、この地に暮らす無双の戦士のうわさは、すぐにあちらこちらの彪人たちの口の端に上ることになった。

 話を聞き付けた男たちに加え、強い男を求める女たちが彼の下に集ったのが、この彪人の里の起源なのだという。

 最強の戦士が近くにいるのだから、修行の旅に出る必要などもない。

 ラジャンに敗れた男たちは里にとどまり、彼の下で武を磨くようになる。

 彪人たちの集う里の長となったラジャンは、磨き抜かれた武の使途さえも示してみせた。

 対価を得て異種を討つ傭兵という仕事、戦士たちに戦う意味を見いだしたのも里長ラジャンだった。

 無双の戦士であるラジャンと、彼に付き従う彪人の戦士たち。

 その評判は各地に広まり、戦う力を持たない者たちの希望となった。

 うわさに付随する形で広まったのが、里長ラジャンの持つ、新しいものや珍しいものを蒐集するという嗜好についてだ。

 傭兵の仕事の依頼のためのおみならず、彼の財布を当て込んだ商人たちが里を訪れるようになり、必然と外との交流も増えていったらしい。

 件の商人もまた、そんなラジャンの噂を聞き付けた一人に違いないとアシュヴァルは吐き捨てるように言った。


 アシュヴァルの語る話を聞いたことで、少年はようやくバグワントの口にした仕事という言葉の意味を理解した。


「……そう、だったんだね」


「ああ、そういうこった。自分で話しておいてなんだけどよ、今の俺たちには関わりのない話だな」


 至って素っ気ない口調で言うと、掌を上にして両手を組んだアシュヴァルは、背伸びをするかのように身体を引き伸ばす。


「——ったくよ、シェサナンドの野郎、所構わず殴る蹴るしやがって……身体中痛くてかなわねえ」


「だ、大丈夫……?」


「ああ、痛えは痛えけど傷は大したことねえよ。ひと晩寝りゃあ治るさ」


 身体のあちらこちらをさすりながら辟易したように言い、アシュヴァルは組んだ両手を首の後ろに添えて目を閉じた。


「……お前も早く寝ろよ。速足でここまで来たんだ、結構こたえてるだろ? でもよ……よく頑張ったと思うぜ。病み上がりでさ、気も張ってただろうしな——」


 そこまで話したところ、アシュヴァルは「ふわあ」と大きなあくびを一つ放つ。


「——だから早く休めよ。頭ん中ぐるぐるしてると思うけど、また明日だ……明日には……明日——」


 そう言い残したかと思うと、アシュヴァルはあっという間に眠りに落ちてしまう。

 少年は立ち上がり、豪快な寝息を立てて眠る寝顔を見下ろした。

 この数日間で彼に掛けた負担の大きさを考えれば、頭が下がる思いを禁じ得ない。   

 自身を背に負って三分の二以上の道のりを歩んでくれただけでなく、道中で現れた異種との戦い、旧知の友人との立ち合い、そして里長との対面と、身体的にも精神的にも多大な疲労を伴う出来事を連続して乗り越えているのだ。

 いびきを立てて眠るアシュヴァルにそっと布団をかけ直し、起こしてしまわないよう小声で告げる。


「……おやすみ、アシュヴァル。いつもありがとう」


 里を訪れる行商人たちのために用意された客間は、数人が余裕を持って過ごせるほど広く、据えらえている寝台も四つと多い。

 燭台の明かりを落とし、アシュヴァルの眠るそれとは別の寝台に身を横たえる。

 言われた通り、明日に備えて眠ろうと頭まで布団に潜って目を閉じるが、謁見の間での出来事を回想するうち、気ばかりが焦って居ても立ってもいられなくなる。

 いつなんどきラジャンの気が変わるとも知れず、その爪や牙がローカに突き立てられるのは、まさに今夜なのかもしれないのだ。

 一度でもそんな光景を想像してしまうと、どうにも浮足立ってしまって仕方ない。


 おとなしく眠ることもできず、気付けば寝台の上で身を起こしていた。

 眠るアシュヴァルを起こさぬよう十分に注意を払い、少年は忍び足で客間を抜け出した。


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