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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第一章  彪 人(とらびと) 篇   第三節 「山河を越えて」
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第六十六話  藩 王 (はんおう) Ⅲ

「会わせると言いはしたが、それ以上を許した覚えはない」


 重々しい声を耳にして勢いよく振り返った少年は、脇息に身体を預けたまま、足先を使って一本の槍を拾い上げる里長ラジャンの姿を目に留める。


「心得違いをしてもらっては困るな」


 見事な装飾の施された槍の柄で二、三度肩をたたくと、彼はその穂先をローカへと向け、冷淡な声で言い放った。


「それは——乃公のものだ」


 続けてラジャンは、槍先をもって部屋のあちこちに散らばった美術品や工芸品を指し示す。


「それも、これも——あれも……どれもすべて乃公のものだ。この屋敷に——この里に、乃公の自由にならぬものなど一つとてありはしない」


 槍の穂先が、少年の眼前へと向けられる。


「——いいか、小僧よ。乃公はな、乃公のものを他人に好き勝手されるのが堪らなく嫌いなのだ」


 手にした槍を頭上でひと回ししたのち、ラジャンはほれぼれとした目つきで刃を見詰めた。


「愛でようが——」


 言って両の手で槍の柄を握ると、力を込めて真っ二つにへし折ってみせる。


「壊そうが——」


 折れた槍をぞんざいな手つきで後方へ投げ捨て、恐怖におびえる少年を見据えながら続ける。


「すべてが乃公の意のまま、思うが儘。それが乃公の畢生の信条だ。何人といえども、これを侵すこと罷りならん」


 言葉を失う少年をよそに、彼は後方に控える四人の女たちに向かって告げた。


「連れていけ」


「ま——待って……! 待ってほしい!!」


 女たちに手を引かれて連れられていくローカの背に、続けてラジャンに対し、叫び交じりの声を上げる。

 震える足を叱咤してその足元まで歩み寄ると、高座にすがり付いて訴えるように言った。


「ローカを……彼女を解放してほしいんだ! 人は——ものじゃない、誰かのものであっていいわけなんてない!!」


「くどいと言っている。何故なにゆえ乃公が貴様の指図を受けねばならん。乃公のものを乃公がどうしようと乃公の勝手——何度も言わせるな」


 放たれる威圧感に耐えて必死に嘆願するが、返ってきたのは取りつく島もない言葉だった。

 鋭い一瞥を受け、それ以上を発することができずに顔を伏して歯噛みする。

 部屋の奥へと連れていかれるローカの後ろ姿を、うつむきつつも視界の内に捉える。

 このままでは、あのときと同じだ。

 みすみす機会を逸しては、蹄人の商人を前にしてなすすべなく引き下がらざるを得なかったあのときと同じ結末を迎えてしまう。


 アシュヴァルが己の過去と向き合うことで作ってくれたこの場を、自身の及び腰から無駄にすることなどできない。

 せめてひと言だけでも、彼女と言葉を交わす機会が欲しい。

 そうしなければ何も始まらない。

 アシュヴァルに守られ続けの自分から、何ひとつ変わらない。


「なんでもする——自分にできることなら、なんだってする……」


 顔を伏し、視線を落としたまま呟く。


「彼女の代わりになったっていい!! 君の自由にしてもらったって構わない……!!」


「おい! お、お前……」


「もしお金が要るのなら……自分が一生懸かってでも——」


 アシュヴァルの制止の声を背に受けてなお、ラジャンを振り仰いで叫ぶように声を上げる少年だったが、高座の上から注がれる刃のように鋭い眼光を総身に受け、不意に言葉を失ってしまう。

 彼は口元をゆがめて皮肉な笑みをこぼし、あざ笑うかのように言った。


「問うに落ちず、語るに落ちるとはこのことよ。小僧——貴様、己の言葉を以てこの娘を売り物だと認めてみせたな」


 愉快そうに喉を鳴らして言うラジャンに対し、両手を振って懸命に否定の意を示す。


「ち……違う——」


「違わぬ」


 放たれた有無を言わさぬひと声で、否定の言葉はたやすくかき消える。


「自覚すらしておらぬようだから、この乃公が代わりに教えてやろう。貴様も同類だ。この乃公に奴隷を売り付けようとした愚か者とも、それをこうして近くに置いている乃公ともな。——よいか。貴様に何を言われようとも、乃公の考えは露も揺るがぬ。この娘は乃公のものだ。乃公がどうしようと、貴様にはそれをどうこうする資格などない」


 そこまで言って、ラジャンはゆらりと音もなく立ち上がる。


「傍に置くも自由、着飾らせるも自由——」


 言いながら高座を下り、膝を突く少年の傍らまで歩み寄った彼は、耳元に口を寄せてささやくように言った。


「——肉を喰らうも血を啜るも……すべては乃公の思うがままだ。この娘の持ち主は乃公だ。今日唯今こんにちただいま、貴様が認めたようにな」


 言い終えたラジャンは何事もなかったかのように少年の脇を通り過ぎ、続いて立ち尽くすアシュヴァルの元へと歩みを進める。

 彼を見下ろしたラジャンは、彼の耳元にも何やらひと言二言ささやくと、部屋の奥へと消えていった。

 ラジャンに続いて、女たちもローカの手を引いて謁見の間を後にする。

 少女は首だけで振り返ると、姿が見えなくなる瞬間まで、頭部の毛の隙間からのぞく目で少年をじっと見詰め続けていた。


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