第六十二話 少 憩 (しょうけい) Ⅱ
見下ろす皿には、幾つかの料理が少量ずつ盛り合わされている。
供されている料理のいずれもが、香辛料を利かせて仕上げられているものであることは、運んでいたときから気付いていた。
食欲をそそる香りに腹が鳴り、改めて空腹であったことを思い出す。
到着を急いでいたため、昨日の夜に食事を取って以降、何も口にしていないのだから当然といえば当然だ。
「い、いただきます」
小声で呟き、匙で料理をすくい上げる。
最初に口に運んだのは、皿の半分を占める煮込み料理だ。
米とともに頬張った瞬間、鮮烈な辛みとともに刺激的な香りが鼻に抜ける。
目の覚めるような辛さに顔から汗が吹き出すが、決して嫌な辛さではなかった。
後を引く味とでもいうのだろうか、ひと口、もうひと口といった具合に匙が進む。
芋、扁豆、赤蕪の炒めも口直しとしてちょうどよく、都度それら三種を間に挟みながら煮込みを口に運び続けた。
付け合わせとして添えられた甘藍の和え物はほんのりとほろ苦く、程よい渋みが心地良い。
豆か何かの粉を伸ばして焼いたであろう薄焼きはほのかに塩気が効いており、さくさくという触感が楽しめた。
香ばしく刺激的な料理の数々は、空き腹だったことも手伝って、一気にかき込んでしまうほど食の進むものだった。
ローカにも食べさせてあげたいと、すくい上げた最後のひと匙を見詰めながら強く感じ入る。
無事だろうか、けがなどしていないだろうか、ちゃんと毎日食事をさせてもらっているだろうか。
口ぶりから、バグワントがローカのことを知っていることは明らかだ。
彼女がこの地にやって来ていることは間違いないだろう。
早く会いたい。
会って安否を確かめたその後は——。
少女について考えを巡らせていたそのとき、前触れなく口を開いたのは、隣に腰を下ろしていたシェサナンドだった。
「里長への用事ってさ、あのお前に似た娘と関係あるのか?」
「え……!?」
まるで思考を読んだかのような発言に、思わず目を見張る。
取り乱した拍子に落としかけた匙の上の料理を、平衡を保つ形でとっさに受け止め直す。
「し、知ってるの!? ローカの——あの子のこと!!」
「知ってるけど……なんだよ」
匙を手にしたまま間合いを詰めて尋ねると、シェサナンドは腰を滑らせて距離を取った。
「い、今どこに——」
「どこってそりゃ里長のところに決まってるだろ」
質問に重ねる形でシェサナンドは答える。
「ローカは無事なの!? 今、どうしてるのかな……!?」
「な……なんだよ、変なこと聞く奴だな! どうしてるかなんて俺が知るかよ。里長のところにいるって言っただろ。無事だからいるって言ってるわけで——無事じゃないならそこにいるなんて言わないって。……急になんなんだよ、お前」
じりじりと詰め寄られ、木箱の上に逃げ場のなくなったシェサナンドは、空になった酒杯と皿を手にしたまま不服そうな顔で立ち上がった。
「あ……そ、その……ごめん」
厄介なものでも見るような目で見下ろす彼に、肩を落として謝罪の言葉を口にする。
シェサナンドはうっとうしそうに舌打ちをすると、改めて掛け直すことなく建物の壁に寄り掛かった。
匙に視線を落とし、小さく嘆息する。
ローカが今のところは無事なことがわかっただけでもひと安心だが、いつなんどきその身に危険が及ぶかはわからない。
里長ラジャンが、件の商人の売り文句を信じて彼女を買い取ったのであれば、その用途は不死の妙薬としてだろう。
「シェサナンド、だったよね?」
壁に背中を預けて視線をそらす彪人を見上げ、仕切り直すように声を掛ける。
「そうだけど……なんだよ」
「ひ、一つ聞きたくて。その……さ、里長ってどんな人なのかな……?」
先ほど広場で剣舞を披露した際の、勇壮かつ華麗な姿を思い浮かべながら尋ねる。
稽古の場にいた彪人たちの誰もから畏敬と畏怖のまなざしを集め、アシュヴァルを視線一つで委縮させる圧倒的な気迫の持ち主であり、そして今から自身が向き合わなくてはならない人物——それが里長ラジャンだ。
「里長ラジャンは——俺の知る中で誰よりも強い戦士だよ。里の戦士の誰よりも——兄貴よりもずっと強い……!」
皿と酒杯を手にしたまま、シェサナンドはどこか遠い目をして答える。
空になった酒杯をあおると、残ったひと滴を口の中に振り落として言葉を続けた。
「だからこの里の戦士たちは、いつかあの人に追い付けるようにって毎日鍛錬を積んでるんだ。俺もあいつも……子供の頃から里長に勝つために必死に——」
「里長みたいに強くなりたいって……みんなが思ってるんだね」
「当たり前だっ!!」
突として腹立たしげに声を荒らげるシェサナンドに、少年はびくりと身体を震わせる。
「だからそう言ってるだろ……! 力を付けて、あの人を倒して、それで戦士として名を立てたいって誰もが願ってるんだ。でもあいつは——アシュヴァルの奴は……」
話すうち、シェサナンドの声色は徐々に怒気を帯びていく。
「……アシュヴァルの奴! あの日のことは今でも覚えてる。絶対に忘れてなんてやらない……! そうだ、あの夜あいつは里を逃げ出したんだ! 誰にも言わずに——俺にも……一緒に里長を倒そうって約束した俺に何も言わずに——!!」
自らの発した言葉を火種に、ますます怒りを燃え上がらせる彼は、湧き上がる感情に任せるように、手にした酒杯の底でを木箱をたたき付けた。
陶器が木を打つ音が辺りに響き、店の外で談笑していたヌダールたちの笑いが途切れるのがわかる。
三人は何事かと店の脇をのぞき込んできたが、すぐに興味を失ったかのように会話を再開した。
シェサナンドは怒りを隠そうともせずに「はん」と吐き捨て、その場を去っていく。
後を追おうと立ち上がる少年だったが、背に向かって掛けるべき言葉を探るうち、結局声を掛けられずじまいになってしまった。