第六十一話 少 憩 (しょうけい) Ⅰ
食事に備えてか、稽古を終えた彪人たちは井戸の水を頭から浴び、汗と土汚れを洗い流し始める。
中には水浴びの順番が待てず、川へ向かう気短な者たちもいた。
ヌダールたちに腕を取られた少年が、連れられて向かったのは一軒の建物だった。
食事処の類いなのだろう、幾つかの卓が並んだ店の造りや雰囲気は、鉱山の麓の町で世話になった酒場とよく似ている。
店の中をのぞき込めば、先に広場を後にした彪人たちはすでに卓に着いている。
遅れてやって来た彪人たちも、それぞれ空いた席に腰を下ろしていくが、それほど広くない店内に全員は入り切れず、何人かは店の外に溢れ出てしまっていた。
店の周囲に置かれた木箱や樽に思い思いに腰掛けるヌダールら三人に倣い、少年も小さな木箱に腰を下ろした。
アシュヴァルの姿を探してもう一度店の中をうかがうと、勧められる酒を必死で断る彼の姿が映る。
ヌダールの語った通り、店内には稽古の場にいた彪人たちが、里長ラジャンを除いて一人残らず集まっているように見受けられる。
続けて厨房の中に目を向けてしまうのは、給仕として働き続けたことにより身に付いてしまった癖のようなものだろうか。
料理はある程度下準備が済んでいる様子だったが、次々と飛び込んでくる注文に作業が追い付いていないようだ。
二人の料理人が仕上げに、給仕一人が配膳に勤しんでいたが、卓に着いた彪人たちは自由なもので、厨房の忙しさなど一切顧みることなく勝手気ままに催促を口にしていた。
「腹減っちまったよ!!」「なあ、早くしてくれよー!!」「俺のほうが先に頼んだのに!!」「先に酒いい?」などと思い思いに声を上げるだけでなく、仕上げ前の料理に手を伸ばす者までいる始末だ。
店の外から成り行きを見守っていた少年だったが、ふと気付いたときには、立ち上がって店内へと足を踏み入れていた。
「て、手伝うよ! 何かできることある——かな?」
厨房に向かって声を掛ける少年を目にし、料理人も給仕も一瞬作業の手を止める。
突然の申し出に面食らっているようで、樽から酒を注いでいた給仕の女は杯の中身を溢れさせてしまっていた。
彼女は「あ」と声を上げて我に返ると、小さく笑みを浮かべて手の中のそれを押し付けてくる。
「これ、あっちの卓にお願いね」
「うん、わかった」
受け取った陶器製の酒杯を指示された卓へと運び終えると、都度指示を仰ぎながら給仕の仕事を手伝った。
つい手を出してしまったのは、切り回しがうまくいっていない状況を黙って見ていられなかったのもあるが、じっと待っていることが耐えられないという理由のほうが強かったのかもしれない。
何もしないでいると、悪い想像で頭が占められてしまう。
ならば思い切って身体を動かしているほうがいい。
それが、給仕の手伝いを志願するに至った一番の理由だった。
次々と用意される酒を届け終える頃には料理が仕上がってくる。
今度は料理の盛られた皿を手に、給仕と共に卓と厨房を何度も往復する。
料理が行き渡ると、今度は酒杯を空にした彪人たちから酒のお代わりを求める声が上がり、それを届ける頃には次の料理の催促が——といった具合で、少年は息つく暇もなく店内を駆け回った。
彪人たちは基本的に、明るく陽気な性格の持ち主だった。
鉱山の町の酒場もにぎやかではあったが、酒の入った彪人たちの騒がしさはそれ以上だ。
彼らは店の手伝いをする少年をいたく面白がり、からかったり、時に茶々を入れたりしながら酒と食事を楽しんでいた。
「……またそうやって余計なことしてよ、お前は」
アシュヴァルの元に料理を運んだ際、卓に肘を突いた彼は心底あきれた様子で呟いていた。
店内が一応の落ち着きを見せ始めた頃、ひと息つく少年を料理人と給仕が取り囲む。
「助かったよ、ありがとうね!」
「なかなか手際いいじゃない!」
「これからもうちで働かない?」
彼女らは少年をなで回しながら礼を口にし、「これ、あんたの分!!」と大盛りの料理が乗った皿を差し出してくる。
続けて当然のように酒を突き出され、大きく左右に首を振って遠慮を示した。
「おう、お疲れさん!!」
皿と茶を手に店の外に出ると、ヌダールがねぎらいの言葉を掛けてくれる。
三人組は木板を敷いた陶製の甕の上に酒杯と皿を乗せて食事をしている。
彼らに合流しようとそちらに足を向けるが、ふと目の端に別の人物の背中を捉える。
店の脇に積み上げられた木箱に腰掛け、一人で食事を進めているのはシェサナンドだった。
「隣、いいかな?」
声を掛ける少年をちらりと見やるも、シェサナンドは興味なさげに視線を手の中の料理に落してしまう。
「その……隣——」
「好きにしろよ。俺に許可取る必要なんてないだろ」
再度尋ねようとしたところ、彼は口の中に料理を詰め込んだまま投げやりな口調で答える。
その場から動こうとしない少年の顔を上目遣いに一瞥したのち、シェサナンドは腰をずらして場所を空けた。
「あ、ありがとう」
礼を言って隣に腰掛けると、少年も彼に倣って山のように料理の盛られた皿を膝の上に置いた。