第六十話 剣 舞 (けんぶ)
ヌダールたちから簡単な武術の型や体さばきなどを教えてもらっているうち、いつの間にか周囲の彪人たちの視線がひと所に集まっていることに気付く。
皆の目線の先を追った少年が認めたのは、いかにも大儀そうに立ち上がる里長ラジャンの姿だった。
彼が中央へ歩み始めると、めいめい稽古を続けていた彪人たちは一人残らず場所を譲る。
集まった全員が固唾をのみ、息を凝らして見詰める中、広場の中央に立った彼はおもむろに剣の柄に手を添えた。
直後、ラジャンは鞘から剣を抜き放った。
鞘走った刀身が空を切り裂く鋭い音が辺りに響く。
翻した刃をけさ懸けに振り下ろし、次に自らの身体ごと回転させるようにして横なぎの一閃を放った。
続けて鞘を投げ捨てたかと思うと、ラジャンは広場を縦横無尽に使いながら、流れるように多種多様な技を繰り出していく。
時に強烈に渦巻く激流のように、時に穏やかに流れるの細流のように、動と静、剛と柔の相反する動きを織り交ぜながら切れ目なく続く一連の型は、剣術と呼ぶよりもまるで舞踏だった。
しかし、それが決して遊芸の類いなどではないことが、剣術の心得のない少年にも見て取れる。
舞へと形を転化させてはいるものの、一つ一つの動作はあくまで対峙した相手を討ち取るための、必殺の技であることがうかがえた。
少年の目はラジャンにくぎ付けにされていたが、その理由は剣技のさえのみにあるわけではなかった。
全身から放つ気迫に風雅な彩りを添えるのが、武具を持たない彪人たちの中にあって、彼のみが手にしたひと振りの剣の存在だった。
銀色の柄と鞘に、複雑で精緻な彫刻が掘り込まれた剣は、武具よりも美術品と呼ぶほうがふさわしく思える。
緩やかな弧を描いて延びる刃は、見慣れた鉄でも銀でも金でもなく、見たこともない色と質感を有する素材でできている。
赤みを帯びた輝きを放つ灰白色の刀身が空を裂くたび、知らずその軌跡を目で追っていた。
ラジャンの動きは徐々に激しさを増し、剣舞が佳境へと突入していくのがわかる。
大きく踏み込みながら三日月の軌跡を描くように振り下ろされる全身全霊の一撃をもって、ラジャンの剣舞は幕を下ろした。
放り出されていた鞘はバグワントによって拾い上げられており、恭しく差し出されたそれを、ラジャンは無造作な手つきで受け取る。
左右に一度ずつ手首を返すように振られた刃は、音もなくするりと鞘に収まった。
何事もなかったかのように踵を返して広場を後にする彼に声を掛ける者はただの一人もいなかった。
わずかでも気を抜けば、見物している自身が斬り裂かれてしまうのではないか、ラジャンの剣舞はそんなふうに思わせる圧倒的な迫力を有していた。
集中と緊張で息をすることさえ忘れてしまっていた少年には、彼らの気持ちが手に取るようにわかった。
誰もが無言で背を見送る中、ラジャンは先ほどまで座していた敷物の上へ戻ることはせず、そのまま里の奥へと帰っていく。
「あ——」
この機を逃してはなるまいと、少年はとっさに立ち上がる。
去っていくラジャンにローカの所在を尋ねようと駆け出したところで、行く手を遮るように立ちふさがったのはヌダールら三人組だった。
「どこ行くんだよ、稽古の後は飯って決まってるだろ!!」
「腹減っただろ? お前も一緒に来いよ!!」
「俺も腹減った」
三人は口をそろえて言いながら、少年の細い肩に腕を回す。
「ま、待って!! じ、自分には聞きたいことが——!!」
三人に無理やり連行されるようにして進むのは、ラジャンの去った先とは別方向だ。
もぞもぞと身をよじって腕から抜け出そうとする少年に対し、顔を寄せたヌダールが言い含めるような口ぶりで言う。
「稽古の後に飯なのは里長も同じだ。それによ——」
言葉を切った彼は、わずかに声を潜めるようにして続けた。
「——里長は飯食ってるところを見せたがらねえんだ。俺たち戦士にも、女たちにも……誰にもな」
「え、あ……」
息をのんで顔を見上げると、ヌダールはわずかに緊張を帯びた表情を、すぐに快活なそれへと戻す。
そして少年の背中を押しながら、もう一度顔いっぱいに笑みを浮かべて言った。
「飯、行こうぜ!!」
「……う、うん」
小さくうなずいたのち、周囲にアシュヴァルの姿を探す。
離れた場所に認めた彼もまた、数人の彪人たちに肩を組まれる形で引き立てられている。
視線に気付いたアシュヴァルは、「仕方ねえ」とばかりにわざとらしく肩をすくめてみせた。
ヌダールたちに連れられて歩く間、先ほど彼が口にした言葉を頭の中で繰り返す。
里長ラジャンは、食事をしているところを、誰にも見せたがらない。
その言葉から抱く不吉な印象は殊の外強い。
一人になった里長ラジャンが鋭い爪でローカの皮膚を切り裂き、尖った牙で肉を嚙みちぎっているところをいやが上にも想像してしまう。
忍び寄る悪い考えを頭を振って必死に追い払おうとするが、一度抱いた不安はたやすくは拭えなかった。