第五十二話 異 形 (いぎょう) Ⅲ
アシュヴァルの指示に従い、拾い上げた残骸を近くを流れる川へと沈める。
「本当は持って帰ってやりてえとこだけどよ、今は荷物を増やしてる場合じゃねえからな」
沈む残骸を見詰め、わずかに未練を残すような口ぶりでアシュヴァルは呟いた。
聞けば、討ち取った異種の外皮は持ち帰るのが常らしい。
それができない場合は火を起こして燃やす、土中に埋める、水に沈めるなどして始末をするのが決まり事なのだと彼は教えてくれた。
異種の残した外皮を全て川に流し終え、アシュヴァルは満足そうに鼻を鳴らす。
「さてと、行くか」
早く乗れとばかりに後ろを向けて膝を突いた彼は、少年を背に負ったまま、たやすく崖を登り切ったのだった。
「まだ朝には早え。もう少し寝て、そんで出発だ」
語るアシュヴァルに従い、少年は目を閉じる。
だが眠ろうと思えば思うほど、意識は鮮明に、感覚は鋭敏になっていく。
先ほど目の当たりにした光景が瞼の裏に焼きついて離れず、組み伏せる前肢の圧力や、口腔から漏れ落ちた体液の質感が肌によみがえってくる。
「眠れねえのも無理ねえよな」
数度目の寝返りを打ったところで、不意にアシュヴァルが呟いた。
「……ご、ごめん。静かにするから」
「構わねえよ。明日は——もう今日か、今日は負ぶってやるから無理に寝ようとしなくていいぞ」
「うん、ありがとう……それから——」
感謝を伝え、改めて自身の取った行動に対しての謝罪をする。
以前、言い付けを破ってローカの元へ赴いた際、もう二度と勝手なまねはしないと誓った。
にもかかわらず、舌の根も乾かぬうちに約束を破ってしまった。
「もう済んだことだ」
謝罪を最後まで聞き届けると、アシュヴァルはたった一言だけ口にした。
許しを乞いたいのは、言い付けを破ったことに対してだけではなかった。
負わずとも済んだけがを負わせてしまったことに対して抱く自責の念は、極めて大きい。
「けがは大丈夫……?」
「ん? ああ、この程度なんてことねえよ。山の連中の喧嘩止めるときのほうがもっと大ごとだ」
「喧嘩——」
茶化すような口ぶりでもって放たれる言葉を、繰り返すように呟く。
ふと思い出すのは、いつかアシュヴァルが傷だらけの状態で山から下りてきたときのことだ。
その日のアシュヴァルも、身体のそこかしこに深い傷を負っていた。
激しい動揺を覚えつつ、何があったのかと尋ねると、彼は「喧嘩を止めに入り、とばっちりを受けた」と説明した。
それ以上を語りたがらない彼の意を尊重して話を切り上げたが、アシュヴァルに不覚を取らせ得る相手など、鉱山には存在しないであろうことが今ならわかる。
そして負傷の原因が喧嘩の仲裁などではなく、現れた異種との格闘によるものと考えれば全てに納得がいく。
「アシュヴァル、君はずっと鉱山のみんなを守って……」
「そんなご大層なもんじゃねえよ」
言わんとするところを察したのだろう、先回りするようにアシュヴァルは言った。
「金にはそこまで興味ねえけど、俺には戦うこと以外になかったってだけの話だ。俺も含め、彪人って奴らは難儀な種でよ、それ以外の方法で自分を表現するやり方を知らねえ。正しいのか間違ってるのかも、全部戦いの結果が教えてくれるって、本気でそんなふうに考えてる大莫迦野郎どもだ。……だからよ、俺も同じなんだ。そうやって自分の価値を証明しようとしてただけだ。誰かのためとか、他人を守るとか——そんな立派な志があるわけじゃねえよ」
言って決まり悪そうに後ろを向けてしまうアシュヴァルだったが、少年はその背に向けて本心からの言葉を伝える。
「ううん、アシュヴァルはすごいよ。自分には……できないことだから」
自身がローカを買い取るという個人的な事情のために働いている間も、彼は鉱山とその麓の村に暮らす人々を守っていたのだろう。
人々の間に起きるもめ事を仲裁し、人を襲う異種という名の異形の存在から皆を守る——それが便利屋兼用心棒を名乗るアシュヴァルの仕事だったのだ。
たとえそれが当人の言うように、戦うことでしか生きざまを示すことができない彪人としての性質だったとしても、人々を守っていたという事実になんら変わりはない。
「ありがとう、アシュヴァル」
「……なんも出ねえぞ」
礼を言うのも今更であるような気がしたが、それでも感謝の気持ちを伝えずにはいられなかった。