第四十八話 道 中 (みちなか) Ⅱ
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鉱山を発ち、丸五日が経った。
このままの歩みで進めば、八日後には目的の集落に到着できるだろうとは、アシュヴァルの立てた目算だった。
予定の十日から三日の遅れが出ている原因が他ならぬ自身にあることを、少年は痛いほど理解していた。
アシュヴァル一人であれば十日と言わず、早々に彪人の集落にたどり着くことができただろう。
自ら願った道行きにもかかわらず、足を引っ張っているのが己であるという事実には、悲嘆と落胆とを覚えずにはいられなかった。
しかしながら、ただ一つ救いがあるとすれば、道中において商人一行の足取りをつかめたことだ。
「薬が効いてるみてえだな」
つい先日のこと、むき出しの地面に刻まれた溝を指先でなぞり、アシュヴァルは満足げに笑ってみせた。
商人たちの荷車が残した轍の跡は比較的新しく、彼らがこの場所を通ってから、まだそれほどの時間が経っていないことを示しているらしい。
追い付くことは難しいかもしれないが、相応に距離を詰められているのではないかと彼は読んだ。
その見立てを聞かされてなお浮足立って落ち着かない少年に対し、アシュヴァルはぼそりと小声で呟くように言った。
「すぐに食っちまいはしねえんじゃねえかな……あの人ならよ」
放たれた言葉は、商人の語っていた買い主がアシュヴァルの既知の人物であるという事実を示している。
「そ、その人って——」
買い主がどのような人物なのかを尋ねようとするが、アシュヴァルの表情を目の当たりにし、思わず言葉を引っ込める。
その顔に張り付いていたのが、今までに一度も見たことのない緊張の色だったからだ。
出かかった言葉を腹の底まで押し戻すと、そっと彼の顔から視線をそらした。
日が昇っては脇目も振らずに歩き続け、日が落ちて以降は樹下や岩陰で身体を休めた。
近くに水場を見つければ、汚れた身体をすすぐ。
食事はもっぱら酒場の主人の用意してくれた携行食で、保存の利くように乾燥させた半透明の塊を口の中で柔らかくして食べた。
数時間の睡眠を取り、夜が明ける前には起きて歩き出す。
歩けるときには自身の足で歩き、やむを得ないときはアシュヴァルの背を借りた。
意地を張って到着を遅らせるよりも、頼ることのできるときは頼るべきだと判断したからだ。
黒色の被毛に覆われた耳の後ろ、そこだけ白い斑点模様を見詰めながら、ふがいなさと自身の肉体の脆弱さを噛み締め続けた。
ある夜のこと、眠りに就く前にふとアシュヴァルが口を開いたことがあった。
「彪人の集落っていうのはよ——」
いつか交わした話の続きだった。
あの場で打ち切られたと思っていたため、反応にいくらか時間を要したが、少年は身を横たえたまま「うん」と相槌を打った。
「——里、俺たちは自分らの暮らす場所のことをそう呼んでる。都なんて立派なもんじゃねえし、町や村って感じでもねえしな。誰がいつ呼び始めたかはわからねえが、彪人たちが寄り集まって暮らす——彪人の里ってわけだ。俺が飛び出したときは五十人ぐらいが暮らしてた。今もそう変わんねえんじゃねえかな……知らねえけど」
「ご——五十人……!」
五十人の彪人が集まって暮らしている光景を想像すれば、興奮を覚えずにはいられない。
鉱山の麓の町には、抗夫たちと彼らの需要を当て込んで商売を行う人々が数多く暮らしている。
日ごとに変化する住人の数は定かではなかったが、数百人以上であることは確かだろう。
だが、百を超える数字は複数の種を合わせての数字であり、同じ種が五十人集っているところなど見たことがない。
アシュヴァルはそこまで話して寝返りを打つと、背を向けて嘆息するように続ける。
「……お前にゃあよ、もっと早くに山の外を見せてやってたらよかったのかもなあ。狭い洞穴に押し込めるんじゃなくて、外の世界に居場所を見つけてやったほうが一等よかったんじゃねえかなってな」
「そ、そんなことないよ! わからないけど——よかったんだ……! きっとこれが一番よかったんだって——なんとなくそう思えるんだ」
自らも体勢を変え、アシュヴァルの背に声を掛ける。
彼は後ろを向けたまま「ふ」と鼻を鳴らした。
「——だよな。山にいなけりゃ、あの娘に会うこともなかったんだ。結局こんなふうに助けてやりたいって無茶してるわけだからよ、それがいいか悪いかは俺にもわかんねえけどな。けどよ、なんだかんだで俺も引きずられちまって、捨てた故郷に戻ろうとしてる。お前はなんていうか、そういう——あれだよ、持ってんのかもな」
そこまで言うと、アシュヴァルは口を大きく開け放って吐息交じりのあくびを一つした。
「俺が言うのもなんだけどよ。お前はさ、せっかくしがらみになるもんがねえんだから、生のまんまの気持ちに素直になって生きてみるのも悪くねえんじゃねえのかな」
続けて一方的に言い捨てた彼は、身体を丸め込んで眠ってしまう。
背に向かって「おやすみ」とひと言告げると、応えて一瞬だけいびきが大きくなった気がした。