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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第五章  嘴人 と 鱗人(はしびと と うろこびと) 篇   第八節 「変わるもの、変わらないもの」
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第四百五十九話  啐 啄 (そったく)

 その日以降、落羽の教えを受けるシオンの隣に、テポストリの姿が見られるようになった。

 当初は黙って話を聞いているだけのテポストリだったが、落羽の語る歴史や神話、医学や薬学などの学問に、わずかずつ関心を寄せ始める。

 積極的な姿勢は日増しに強くなり、三日が経った頃には自ら不明点や疑問点を尋ねるようになっていた。

 門弟を気取るようになったテポストリは落羽を「お師さま」と呼んで慕い、一日二日師事の早いシオンを「姉弟子さま」と呼び始める。

 学びの時間を終えたのちはシオンとテポストリが協力し、散らかった部屋の片付けや掃除を行う光景もしばしば見られた。


「……ああ、勘弁してくれよ」


 落羽はがくりと肩を落とし、二人のやることなすことに逐一口を出す。


「そいつはそこに置いてあるんだ! 勝手に置き場を変えないでくれ!! おい、そっちもあえてそこに——」


「お片づけは僕と姉弟子さまに任せて、お師さまはそこでゆっくりしていてください!」


「……やれやれだ。厄介な押し掛け弟子ができちまったよ。静かな暮らしが恋しいぜ」


 意気込むテポストリを前にして、それ以上の抵抗を諦めたのか、肩をすくめた落羽は独り言ちるようにこぼしていた。



「落羽、今日までありがとう。みんなで押し掛けて、迷惑もたくさん掛けて、いろいろ——本当にいろいろありがとう」


「そういうのはあんまり気分じゃないな」


 出立の日、深々と頭を下げるエデンに対し、小屋の戸口に立った落羽は突き放すように応じる。


「気分じゃないが——そうも言っていられないか」


 背けていた顔を向き直らせると、彼はエデンを正面から見据えて口を開いた。


「——なあ、王子さまよ。礼を言わなくちゃならないのは俺のほうだ。お前さんが俺のところを訪ねてくれなけりゃ、この今日という日はまた違った一日になっていた。世捨て人を気取って、故郷の消えゆく様を見て見ぬふりしていた俺の目を、横っ面はたいて覚ましてくれたのはお前さんだよ。こうして心置きなくひねもす本を読んだり、語らったりする時間が、もう一度手に入るなんて思いもしなかった。このたまらなく貴重な一日は、お前さんがくれたもんだ。大切に使わせてもらうよ」


 面映ゆそうに言うと、落羽は翼でエデンの肩を軽く打つ。


「——エデン。誰も聞いてくれなかった俺の話を、聞いてくれてありがとう」


「ううん。自分こそ感謝してる。落羽がいてくれたから、あの本を見せてくれたから、だから……みんなに伝えたいことを伝えることができた。君がいなかったら——君の言う今日はきっと昨日のままだったんだ」


 エデンの言葉に「ふ」と小さな含み笑いで応じると、落羽は「なかなか気の利いたことを言うじゃないか」と感心してみせた。


「知識っていうやつは、意外に厄介な代物でな。後生大事に抱えているだけじゃ、毒にも薬にもなりゃしない。件の竜どもは金銀財宝を寝床にまどろんでいたなんて話も伝わっているが、読んで字のごとく——宝の持ち腐れさ。鍵掛けた箱にしまい込んで放さずにいると、あっという間に古くなって腐っちまう。だから、適度に風通しをよくしてやらないとならないんだ。お前さんの持っているそいつと同じだよ」


 言って彼は、エデンが腰に差す剣を指し示す。


「どう使うか、いつ使うか、どこで使うか、誰のために使うか、何のために使うか……そんなところさ」


「うん」


 剣の鞘に触れ、正面から顔を見上げて首肯を送る。

 落羽もまた今一度のうなずきでもって応えると、次いでシオンに視線を投げ掛けた。


「——というわけさ、シオン。俺が一人で背負い込んでいた分不相応な荷物は、できる限り小さくまとめてお前さんに託したつもりだ。短い間だったが、お前さんは俺なんかにはもったいないくらい出来のいい生徒だったよ。何人かの教え子を育ててきた俺だが、知識や技術なんかは教えられても、いつだって一番大事なことは伝えられずじまいだった。お前さんには俺みたいになるなよ。金と一緒で知識は回りものだ。出し惜しみせずに使えばその分だけ空きも生まれるし、快く送り出してやれば仲間を連れて帰ってくる」


「はい。胸に刻みます」


 胸元に手を添えて答えるシオンを見て頬を緩め、「それから」と落羽は言い添える。


「故郷に帰ったら、彼に——エリダノスによろしく言っておいてくれ。いつか旅先で出会った寒がりの嘴人が、また話がしたいと言っていたってな」


「はい、必ず」


 噛み締めるように答えて落羽を見上げたシオンは、片翼の嘴人を「お師様」の尊称で呼んだ。


「エリ——っていうのは……」


 呟くエデンに、シオンはそれが先生の名であることを告げる。

 偉そうでとっつきにくい名前だと、結局別れの瞬間まで教えてもらえなかった名を、自由市場から遠く離れた地で聞くことになるとは思ってもみなかった。


「おしさまー、なんてよんじゃってさ、そのせんせいがおこるんじゃないの?」


「師と先生は別です。……それぐらい許してくれます」


 からかうように言ってうなだれ掛かるマグメルを、シオンは両手で押し返しながら言い返す。


「姉弟子さま、お師様のことは僕に任せてください!」


 言ってシオンの元に進み出たのはテポストリだ。

 同門のよしみか、手と翼を重ねた二人は無言で別れのあいさつを交し合った。

 次いでテポストリは、物怖じしたようにエデンに向き直る。


「えっと……エデンさん、やっぱり僕も救い主さまって呼んだ方がいいんでしょうか……?」


 気後れした様子で言うテポストリに、左右に首を振って応じる。


「エデンでいいよ」


「へへへ、じゃあ——エデンさん」


 照れくさそうに呟いたのち、テポストリはエデンを見上げて言葉を続けた。


「僕からも、改めてお礼を言わせてください。僕を受け止めてくれたこと、僕のために立ち向かってくれたこと、争いを終わらせてくれたこと、お師さまに出会わせてくれたこと……」


 感極まったように言ってエデンの胸元に飛び込むと、テポストリは青く縁取られた宝玉の瞳から涙をこぼす。


「……僕、エデンさんに会えてよかった……! 本当によかったって、心から思います……」


「テポ——」


 込み上げる気恥ずかしさにくすぐったいものを感じつつ、テポストリの声に耳を傾ける。


「……エデンさんも男の子なんだなって——そう思いました。僕、みんなを守れるくらい強くなりたい、立派な衛士になりたいって——ずっとずっと思ってました。でも、やっぱり難しくて……あのときも無理して衛士長さまのお手伝いをして——それで……」


 失われた翼を懐かしみでもするかのように付け根に触れ、エデンの胸から離れて一歩後ずさる。

 右の翼でこぼれる涙を拭うと、テポストリは力いっぱいの笑みを浮かべてみせた。


「やっぱり僕じゃ、鱗人たちみたいにはいかないみたいです。これからはちゃんと自分が女の子だって認めて、僕にできることを——僕だからできること、していこうって思います」


「うん、そうだよ。テポにはテポの——」


 同意するように首を大きく縦に振ったところで、エデンはテポストリの口にした言葉に違和感を認める。


「——ん……?」


 突として飛び出した言葉、ひと言ひと言確かめるようにさかのぼるが、なぜか頭が理解を拒んでしまう。


「……テポ、今なんて——」


「え……はい、僕に——僕だからできることをって……」


 思い返そうと斜め上を見上げるテポストリに、促すように言う。


「その前」


「僕——女の子……」


 再度放たれた言葉に、エデン、マグメル、シオンの三人は、同時に顔を見合わせていた。


「え!?」「ええええー!!」「——!!」


 驚愕に思わず大声を上げる三人だったが、中でもひときわ大きな驚きを見せたのはマグメルだった。


「テ、テテ、テポちゃんってば、女の子だったの!?」


 毎日欠かさず見舞いに赴き、一緒に落羽の小屋に暮らすようになってからも、一番多く言葉を交わしていたのがマグメルだ。

 彼女ですらテポストリが女性であることを知らなかったのだから、エデンにわかるはずなどない。


「あ、あれ……? 言ってなかったかな……?」


 気おされつつ答えると、テポストリはきまり悪そうにエデンたちを見回した。

 予想外の事実を知らされたことで言葉を失うエデンだが、わずかの間を置いて、ようやく声を絞り出す。


「その……嘴人は男女で色が違うんじゃ……それにほら、あのとき——女たちは大地の色が——って……」


「そうじゃない場合もあって、なんか僕らは同じみたいです」


 半ばぼうぜんとした口ぶりで尋ねるエデンに、拍子抜けするほどの平然さでテポストリは応じる。

 何か失態を犯してしまったと勘違いしたのだろう、不安そうな表情を浮かべるテポストリに対し、優しく声を掛けたのはカナンだった。


「女だろうと男だろうと、そんなものはさしたる問題じゃない」


 テポストリの肩を抱いたカナンは、聞き及んでいたであろう、テポストリが戦場において見せた勇敢な行動を讃えてみせる。


「戦士を守った君もまた立派な戦士だよ。これからはお師匠さまから授かる知識が君の槍だ。折れないように磨き上げていけばいいさ」


「ありがとうございます、お強い戦士さま。エデンさんみたいに、僕だけの槍でみんなを守れるように、お師さまの下でいっぱい勉強します! 戦士さまは——エデンさんのことを、よろしくお願いします!!」


「ああ、任せてくれ」


 毅然とした顔つきで宣言するテポストリに向き合い、同じく真摯な面持ちで答えると、カナンは羽並みに沿うように彼女の頭をそっとなでた。


「テポちゃん!! 元気でね!!」


 感極まったように声を上げて抱き付くマグメルに対し、テポストリは身をよじりながら小さく声を上げる。


「くるし、苦しいよ、マグちゃん」


「——テポちゃんだいすき!」


 しばし抱擁を交わす二人だったが、やがてどちらからともなく離れ、涙をにじませて微笑み合った。



「これからは二人で一人、なんとかやっていくつもりさ」


 そんなふうにうそぶいてみせる落羽に背を向け、一行は森の中へと足を進める。

 少し歩いて振り返れば、庵を囲む柵の手すりに顎を預けてひらひらと翼を掲げる落羽と、傍らで懸命に翼を振るテポストリの姿が目に映る。


「——また会いに来るよ!! 約束!!」


 自身も大きく手を振り、別れを告げる。

 二枚の翼の見送る中、エデンは運び込まれてから九日間——目覚めて七日間を過ごした隠者の庵を後にした。


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