第四百五十八話 在 処 (ありか)
東の樹上集落と沼の岩窟集落を行き来する中で、エデンはマグメルと二人、毎日欠かさずテポストリを見舞った。
目を覚ましはしたものの、片翼を失ったテポストリは、飛ぶことはおろか真っすぐに歩くことさえできずにいた。
看護を務める嘴人によれば、目を離した隙にふらりと養生室を抜け出し、大樹を巡る回廊から落下しそうになったこともあるらしい。
エデンたちが訪ねれば無理やり笑顔を作って明るく振る舞いはするが、笑みの裏に測り知れない失意と絶望を隠しているのは見るに明らかだった。
テポストリの状態を気に掛けていたのはエデンたちだけでない。
窮地を救われたトラトラツィニリストリや、孵卵役のテクシストリもまた、それぞれの務めの合間を縫って何度も養生室を見舞っていた。
自分が訪ねることでテポストリに無理をさせ、逆に気を遣わせるかもしれないと二の足を踏むこともあるエデンだったが、そのたびに手を取って養生室に引き立てたのはマグメルだった。
また、岩窟集落においてエデンたちを引き留めた上でテポストリの容体を尋ねてきたのは、傷を負わせた当人である兵士長オフィオイディスだ。
彼女は戦士ではない者を傷つけたことを悔いており、いつか謝罪をしに出向きたいと口にしていた。
ある日、落羽に対してテポストリの置かれた状況を相談したことがあった。
「そんなに心配なら、ここに連れてきたらどうだ。四人も五人もさして変わらんだろう」
思いも寄らなかった提案を平然と言ってのける落羽に、エデンはあっけに取られるばかりだった。
エデンら四人のみならず、申し出を受けた当人もまた大きな戸惑いを見せる。
治療に当たっていた看護役の嘴人たちも難色を示したが、テクシストリに背中を押される形で、テポストリは大樹を下りる運びとなった。
「お師さまのお近くなら私も安心です」
見送るテクシストリだったが、顔には言葉とは裏腹の深い無力感が宿っているような気がした。
落羽の小屋で暮らすようになっても、テポストリはしばらく無気力から抜け出せそうになかった。
そうしなければ命を亡くしていただろう。
だが翼を失うことは、嘴人にとって身体的な負担であるだけでなく、矜持を失うことと同義だ。
消沈ぶりも至極当然と言えた。
時折マグメルとひと言二言会話をするものの、テポストリは食事も睡眠も満足に取れているようには見えなかった。
「今は放っておいてやれ」
励ましの言葉を持たないエデンには、落羽の忠告を入れることしかできない。
もしもテポストリの気持ちを理解できる者がいるとしたら、それは同じ瑕疵を抱えた彼に他ならないからだ。
そうして落羽の小屋で暮らすようになって数日が経ったある日、テポストリに小さな変化が見られるようになる。
シオンの求めに応えて落羽が自らの知識を授ける様を、テポストリは無言でじっと見詰めていた。
「よかったらお前さんもどうだい、一緒に」
誘い掛ける落羽を、テポストリは茫洋としたまなざしで見詰める。
「ぼ、僕は……いいです」
小刻みに頭を振って辞意を示すテポストリに対し、落羽は自由に動く左の翼で天井を指し示しながら言った。
「そんなにお空が恋しいかい?」
「そ——そういうわけでは……」
答えてテポストリがうつむくと、落羽は穏やかな口ぶりで続ける。
「なに、今は思う存分心を残せばいい。俺だって樹の上からたたき出されたときには、ずいぶんと後を引いたんだ。たまに未練たらしく見上げたりなんかしてな、悔し泣きに泣いたもんさ」
「落羽さんもですか……?」
「ああ、そうとも」
顔を上げて尋ねるテポストリに答え、肩をすくめてみせる落羽の顔に、どこか懐かしむような色が宿るところをエデンは見て取る。
旅の中で竜の真の姿を知り、争いを止めるために故郷に取って返した彼は、それを受け入れられない者たちによって、一枚の翼とともに真実をすり消された過去を持つ。
空を失うに至る経緯はまったく異なるが、彼が今のテポストリの中に昔の己を見いだしていたとしても何もおかしなことではないだろう。
「——しかしだ、森の中の暮らしも捨てたもんじゃないぜ。ここにはなんでもある。一生懸命ため込まなくても、誰かから奪わなくても、最低限生きていくのに必要な衣食住は全部そろっているんだ」
落羽の語る言葉を、テポストリはじっと目を伏せて聞いていた。
「森は火を好まない。火を扱うことを覚えた連中は、もう森に戻ることはできないだろうが、共に生きようとする者を森は見捨てない」
「火——」
呟いて小屋の中に転がっている鍋を見やるエデンだったが、落羽はわざとらしいせき払いをしてごまかすように言った。
「少しは使う。森は大らかなんだ。茶を沸かすくらいなら許してくれるだろうさ」
落羽のそんな詭弁めいた論法に、テポストリは「ふふ」と小さな笑みをこぼす。
エデンたちが釣られて笑えば、落羽はやれやれとばかりに肩をすくめてみせた。
「それにだ」
話をそらすように切り出すと、立ち上がった落羽は窓から外を眺め上げる。
「空ってやつは、天から垂れ下がった窓掛けみたいなもんだ。その中を上へ下へ飛び回るのは結構だが、それを自由だっていうのは少しばかりずうずうしいんじゃないかなって話さ。空も地上も同じ、とかく窮屈で生きづらい世の中であることに変わりはない。空に本物の自由があるなんて、そんな都合のいい話があってたまるかよ」
「それなら自由は——」
「どこにあるんですか?」
諦観に満ちた口調で語る落羽に対し、テポストリとシオンは示し合わせたかのように同時に疑問を口にする。
期待に満ちたまなざしを向ける二人を順に見やったのち、落羽は上機嫌に嘴を突き出し、からかうような笑みを浮かべて言った。
「知りたいか?」
「も、もったいぶらないでくださいっ!」
「そうかそうか、知りたいか!!」
勢い込んで催促するシオンを目を細めて眺めると、落羽はいかにも満足げに繰り返しうなずく。
「自由ってのはな——」
言って左の翼を持ち上げた彼は、
「——いつだってここにある」と指先で自らの頭部を示してみせた。




