第四百五十七話 連 枝 (れんし)
東の森の嘴人と沼の鱗人、双方の長は出発の日まで滞在するための部屋を用意すると申し出てくれた。
だが、高所の不得意なカナンと、湿気の多い場所の苦手なマグメルの意を酌み、一行はこれを辞退することにする。
結果としてエデンら四人が出立までの期間を過ごさせてもらおうと考えたのは、暮らし慣れた落羽の小屋だった。
元々は彼が一人で暮らすために結んだ庵であり、五人で生活するにはあまりに手狭だ。
「……向こうさんが言ってくれてるんだから、わざわざこんなあばら屋に戻ってこなくてもいいだろうに」
あきれたようにこぼしたが、落羽はわざわざエデンたちを追い出すようなまねはしなかった。
エデンの負ったけがが旅に耐え得る程度に治るまで、カナンの予後が良好であると判断されるまでという名目で、落羽は一行が小屋にとどまることを許してくれた。
滞在中は、東の樹上集落と沼の岩窟集落に何度も足を運び、人々の暮らしぶりを見て、声を聞いて、言葉を交わした。
交流を図ろうとしていたのはエデンたちだけではなかった。
生き別れた兄弟姉妹が失われた時間を取り戻すかのように、徐々にではあったが、嘴人たちと鱗人たちは互いのことを知ろうと試みる。
しかし、同じ竜の血を引く末裔とはいえ、身体的な特徴や生活習慣の異なる両種が即座に良好な関係を結ぶことができるはずもない。
争いは終わったが、つい数日前まで命のやり取りをしていたという事実は変わらないのだ。
戦の終結に熱狂していた人々も、日が経つに連れ、冷静に互いの違いを認識し始める。
婉曲的な言い回しや詩的な表現を好む嘴人と、基本的に不言実行を旨とする鱗人。
両種は生まれ持った気質も大きく異なる。
意思の疎通に齟齬が生まれるのは、当然といえば当然だった。
両種の間にぎこちない空気が流れ始めるも、二人の長は人々に無理に交流を求めることはしなかった。
誰かがそう決めたから、誰かにそう命じられたから、ではなんの意味もない。
それを一番よく知っている二人だからこその判断だったのだろう。
エデンたちが両種の集落を行き来し始めた数日の間に何度も目にしたのは、話し掛けたいのに話し掛けられない、興味はあるのにどう接していいのかを思いあぐねる子供のような大人たちの姿だった。
再び擦れ違いが生じてしまわないだろうかと気が気でなかったが、そんな不安を払拭したのは、両種の有する一つの共通点だった。
美しいものを愛する心が、嘴人たちと鱗人たちの距離を一足飛びに縮める。
音楽という文化を持ってはいなかったが、嘴人たちの踏み鳴らす拍子に心を引かれたのは、鑿打つ響きに安らぎを覚える鱗人として自然なことだったのかもしれない。
一方で生活に欠かせない石という道具に美しい彫刻を施す鱗人たちの技術に、嘴人たちも強い関心を抱く。
そして何より、互いが互いの美しさを認めるようになったのだ。
嘴人の身を包む羽は鱗人たちの目にもまばゆく映り、鱗人の身を覆う鱗に嘴人たちも宝石の輝きを見た。
鱗人の美しさの秘訣が泥の風呂に身を沈めることと知ると、嘴人たちの誰もが我が耳を疑ったという。
話を聞き付け、エデンたちも実際に沼沢地の外れにある泥風呂に赴いた。
地中から持ち上げられた粘土質の泥に人々が身を沈めている様子を目にし、エデンは鱗人たちの言葉が真実だと知る。
嘴人の男たちが躊躇する中で、泥風呂に強い興味を抱いたのは嘴人の女たちだった。
胸の内で鱗人の鱗甲の持つ美しさに心引かれていたであろう彼女らは、自らも泥の効能を試したくなったのかもしれない。
これに、鱗人の女たちも快く応じた。
種の垣根を真っ先に飛び越えたのは、双方の女たちだった。
鎧や衣服を脱がなくては入れない風呂の中では、長も戦士も一人の人でしかない。
嘴人たちは鱗人のすべらかな表皮をたたえ、鱗人たちもまた嘴人の羽毛の繊細な美を褒めた。
両種の女たちが連れ立って歩く姿が見られるようになると、肩身の狭い思いをするのは過去の因習を引きずっている者たちだ。
心に衣を着せられない風呂を架け橋にして、両種のわだかまりは少しずつ消え始めている。
次の時代を創っていくのは、新し物好きで先進的な女たちなのかもしれない。
エデンは自らも鼻下まで泥風呂に身を沈めながら、女たちのやり取りをしみじみと受け止めていた。




