第四百五十五話 杳 乎 (ようこ) Ⅰ
作業の続きを始めた皆に別れを告げ、エデンら一行は沼の鱗人たちの暮らす岩窟集落に向かって歩き出した。
岩場から鱗人たちの集落に向かうには、川の流れる森を抜け、沼沢地に掛かる木道を通ることになる。
崩れ落ちた木道はすでに修復を終えており、鱗人たちの作業の手早さを思い知らされた。
長や兵士長たちの指示の下、兵士たちが速やかに陣形を整える様は、鱗人の種としての規律正しさを何より明白に物語っていた。
鉱山での日々まで記憶をさかのぼれば、彼女らと同じく鱗人であったウジャラックも、極めて篤実な人柄の人物だったことを思い出す。
沼の手前で立ち止まり、物思いに沈んでいたエデンの脇をすり抜けて木道を進むと、勢いよく振り返ったマグメルはいら立ちを隠そうともせずに口を開いた。
「あいつら! 次会ったらぜったいにゆるさないんだから!!」
彼女の憤懣の向く相手、それが数日前にこの木道で遭遇した三人の蛙人たちであることはすぐにわかった。
「とくにあいつ!!」
肩を怒らせたマグメルが憎々しげに漏らす言葉が指すのは、三人の筆頭らしき小柄な蛙人のことだろう。
カマルと名乗った蛙人は、カナンに危害を加えた相手であり、その点に関しては断じて許容できるものではない。
だが、その置かれた境遇を聞き及んだ今ならば、あのときとは違った関わり方ができていたかもしれないと思う部分もある。
次に会ったら——マグメルの口にした言葉を頭の中で繰り返しながら、エデンはふとそんなことを考えていた。
気分を仕切り直して木道に足を踏み出そうとしたそのとき、エデンは背に何者かの手の感触を感じ取る。
振り返って目にしたのは樹上と同様、ひどく怯えた顔を見せるカナンだった。
ひしと背にしがみ付き、恐る恐るといった様子で木道の左右に視線を走らせている。
「……カナン、どうしたの?」
組み付かれたままの状態で尋ねると、彼女はいかにも言いにくそうに切り出した。
「あれだ、水がな……あまりこう深いと——」
言って確かめるように沼の底を見下ろし、カナンは縮み上がるように身を震わせる。
「あー!! カナン、もしかして泳げないとか!?」
マグメルはここぞとばかりに声を上げ、怯えるカナンの顔を下方からのぞき込む。
「お、泳げないというわけではない!! た、ただ得手ではないと、そう言っているだけだろう!!」
必死に反論を試みるカナンだったが、にやにやと笑みを浮かべて見上げるマグメルを見据えつつも、手はエデンの肩に添えられたままだ。
「でもさ、この前はぜんぜんそんなふうには見えなかったけど——?」
不思議そうに首をひねるマグメルの言う通り、この木道で蛙人たち相手に槍を振るっていた際の彼女に、水を恐れる様子などみじんも感じられなかったことを思い出す。
「それとこれとは話が別だ!! 戦いの中にあっては恐怖すら友とするのが一流の戦士! ——だが今は……そのときではない」
「そうなの?」
気力を振り絞るようにして言うカナンに対し、さもおかしそうに応じると、マグメルは得意げに言って先へと歩き出した。
「落っこちちゃったらあたしが助けてあげるね!!」
「落ち——」
繰り返しつつ今一度沼をのぞき込み、カナンは恐れをなすようなそぶりを見せる。
それまで黙って彼女らのやり取りを眺めていたシオンは、エデンの背に張り付くカナンの元まで歩み寄ると、あきれとも諦めとも判断しかねる表情で口を開く。
「大丈夫ですよ、ほら」
怯えるカナンの手を取り、シオンは木道に向かって歩み出す。
「行きますよ」
「も、もう少しゆっくりで頼む……!!」
懇願するカナンの言葉を聞き入れることなく、シオンは木道を先へ先へとと進む。
「弱点、意外と多いんですね」
焦りを見せるカナンを振り返り、冷ややかに言い放つ。
あまりにもあまりの言いようにあぜんとするエデンだったが、それを放ったシオンを見やれば、顔には今にも吹き出しそうな含み笑いが張り付いている。
「じゃ、弱点……」
それが水への恐れに加え、樹上で見せた高所に対する恐怖心のことであると理解したのだろう、カナンは呟くとともに力なく肩を落としていた。




