第四百五十三話 登 殿 (とうでん) Ⅱ
カナンが動けるようになるのを待って、四人は八樹の中央にそびえる央樹へと足を向ける。
大樹の周囲に張り巡らされた回廊を進む際も、大樹同士を結ぶつり橋を渡る際も、カナンは常にエデンの手を固く握り締め続けた。
央樹の上方に向かって伸びる螺旋回廊を上る段になり、エデンの身体にぴたりと張り付きながら緩慢な歩みで進むカナンを、シオンはもの言いたげな目で見据えていた。
一行の来訪を受け、東の嘴人の長チャルチウィトルは自ら立ち上がって居室である樹洞の中へ迎え入れてくれた。
「おお! おお!! 救い主殿よ、ようやく目覚めたか! 待ち侘びたぞ!!」
彼は左右の翼でエデンの手を取り、何度も繰り返し感謝の言葉を口にした。
「有難し、有難し!!」
長く美しかった尾羽は失われ、宝石をちりばめたかのような鮮やかな羽毛も気の毒なほどに乱れている。
身体中に施された痛々しい治療の跡は、その有する絢爛で豪奢な美しさを完膚なきまでに奪い去っていたが、それでも感謝の言葉を復唱する彼の姿はエデンにとってこの上なく輝かしく見えた。
「そ、その——救い主っていうのは……」
長チャルチウィトルの言葉の合間を縫い、先ほどから気になっていた呼称について尋ねてみる。
コスティクとイスタクも自身をそう呼び、この央樹に至るまでの間にも幾度かその呼称で呼ばれている。
「救い主殿は救い主殿であろう!!」
長チャルチウィトルはなんら問題ないといった様子で言い放ち、一層強くエデンの手を握り締めた。
「吾らを救い賜うた其方にこそ、付き付きしき呼び名ぞ!!」
「で、でも自分には——」
身に余る呼称に恐縮してみせるが、チャルチウィトルは気にするそぶりもなく言葉を続ける。
「其方が眠る間にも、吾らは新たな道を歩み始めておる。戦の残した傷痕は浅くはないが、一母同胞の兄弟姉妹同士、志を同じくし力を合わせて参る所存ぞ!!」
力強く言い、チャルチウィトルは四人に順に視線を巡らせる。
「其方らさえよければ、いつまでとなくこの集落にとどまってくれてよい。なんなら住み果ててもらっても一向に構わぬぞ」
「うん、ありがとう。でも自分たちは——」
エデンが申し出を辞退するより早く、とんでもないとばかりに左右に首を振って拒否反応を示したのはカナンだ。
「そうよな。吾らの一世の旅に本意あるように、其方らの旅にも其方らの本意があるのだな。曲げて許し賜らん」
カナンの激しい拒絶が含み持つ意味を取り違えたのか、彼は一人納得したようにうなずいてみせる。
「これ以上引き留めることはせぬ。されども出立の折は確かに知らせるのだぞ。それまでは新たな門出を迎えた吾らの暮らしぶり、篤と見果せ賜え」
言ってチャルチウィトルは四人の手を順番に握り、今一度一人ずつに感謝の言葉を伝える。
出発の際は改めてあいさつに来ることを伝え、一行は長の居室を辞した。
次いでエデンのたっての要望で向かったのは、多くの衛士たちが傷の治療を受ける乾樹の養生室だった。
マグメルの指し示す先、一番奥の寝台の上には、傷ついた衛士たちに交じって眠りに就くテポストリの姿があった。
傷がひどく痛むのだろう、眠るテポストリは苦しそうなうめきを漏らし、身をよじっている。
寝返りを打つと同時に身を覆っていた掛け布がずれ落ち、痛ましい傷口があらわになる。
何も言わずにそっと布を掛け直すと、エデンは視線をもって仲間たちに「行こう」と合図を送った。
たとえ種同士の争いが終わろうとも、テポストリを含む負傷者たちの傷がたちどころに癒えるわけではない。
これからの彼らに待っているのは生きるための戦いだ。
慰問に気付いて身を起こす衛士たちや、治療に当たる者たちの邪魔にならないよう、エデンらは静かに養生室を後にした。
その後は乾樹の孵卵室に立ち寄り、卵の世話をするテクシストリとわずかばかり言葉を交わす。
続いて衛士たちの詰所のある艮樹に向かうが、衛士長トラトラツィニリストリに会うことはできなかった。
その居所を教えてもらった上で再び兌樹に戻った四人は、縄梯子を伝って大樹を下りる。
カナンが樹下へと下り切るまでに要した時間は、上る際の倍ほどだった。




