第四百五十話 宿 命 (しゅくみょう) Ⅰ
「おつかれさま、エデン」
厳重に包帯の巻かれたエデンの掌を取り、マグメルは両手で握ったそれを意味もなく上下させる。
「マグメルこそお疲れさま。その、歌——みんなに届いてたね」
「えへへ」
上下に手を振られながら答えると、彼女は照れくさそうに微笑んでみせた。
「あんまりおぼえてないの。気がついたら歌ってて、それで気がついたらみんなこっち見てた」
「あの歌って、いつも歌ってる——」
語尾を濁したのは、自身がそうであったように、歌について語ることでアリマのことを思い出させてしまうかもしれないと、そう考えたからだ。
そんな懸念を知るや知らずや、マグメルは思い出を掘り起こしでもするかのように一語一語を絞り出す。
「うん、そ。だいすきな歌。インボルクたちもお気に入りで、いつもみんなで演奏してた。歌詞、忘れちゃってたんだけど……急に思い出したの。小さいころから——あたしがこわい思いしてねむれない夜とか、ルグナサートがよく歌ってくれてたんだ」
「ルグナサートが……」
嘴人である彼の歌う歌——それが嘴人たちと鱗人たちの和解の契機となったことに、何か運命的なものを感じずにはいられない。
旋律からも歌詞からも子守唄とわかるその歌が、あるいは両種の記憶の奥底に眠る竜の部分に触れたとしたらどうだろう。
「ね、エデン」
握る手の力を心持ち強めるとともに、マグメルは今にも泣き出しそうに表情をゆがめる。
「あたしがよけいなことしちゃったから、ずっとねむったままなのかなって思ってた。一人はこわくて——だからいっしょに見てほしいなって思って、でも……このままエデンが起きなかったらどうしようって……あたし、こんなのだったらずっと一人で……」
「——ううん。自分は見せてもらえて、一緒に見ることができてよかったって思ってるよ。もちろん勝手に人の心の中をのぞくのは、本当はよくないってことはわかってる。それに知ってよかったって思えることだけじゃないし、でも……知らなかったら、知らずにい続けていたら……きっとそんな自分のことが許せなくなってた。だから——」
包帯越しでも震えの伝わる彼女の手を握り返し、感謝の言葉を伝える。
「——ありがとう。マグメルの持ってるそれ、誰も持ってないすごい力で……本当に——すごい、すごくて——」
彼女の力を通して幼い頃の姿を垣間見たことで、二人の長が此処をの奥底に封じ込めていた思い出と願いとを知った。
呪いとでもいうべき種の使命に翻弄され、争い合わなければならなかった二人が、芯の部分では誰よりも争いの終結を願っていたことを知る。
全てが終わった後とはいえ、それを知り得たことはエデンにとって大きな意義を持っていた。
自らの取った行動が間違いではなかったのだと、証明してもらえた気がした。
「……なにそれ、しまんないの」
思いをどう伝えればよいのかわからず言葉を詰まらせるエデンを見上げ、マグメルはくすぐったそうに笑いをこぼす。
いつ壊れてもおかしくない硝子細工のような笑みを顔に張り付け、彼女は静かに言葉を続けた。
「前も言ったよね。小さいころからずっと……いつもじゃないけど、ときどき見えちゃうんだって。あのときとおんなじ……アリマちゃんのときと」
口に出さずとも彼女がそれに思い至らぬはずなどないと、改めて己の不明を恥じる。
「なんにも知らなければ、アリマちゃんは生きてたんだ。いつかまた会えたらいいなって思いつづけて、それでローカちゃん見つけたらまた会いに行ってさ。そしたらお父さんが言うんだよ。今もお母さんのところにいるって。あたしはふーん、そうなんだ、ってざんねんがるんだ。それで、今日はざんねんだったけど、次は会えるかなって——そう思うの」
マグメルは握る手を離し、くるりと身をひねって背中を向けた。
「でも、今のあたしはそれが本当じゃないって知ってる。知っちゃったあたしは、もう知らないあたしにはもどれないの。じゃあ、ずっと知らないほうがよかった? ——ううん、それはたぶんちがうの。エデンとおんなじなんだ。知っちゃうことよりも、知らないでいるほうがずっとずっといや」
「マグメル……」
ひときわ小さく見える背中に向かってその名を呼び掛ける。
何か言わねばと思考を巡らせるも、今の彼女に伝えるべき言葉がまったく思い付かなかった。
「それにね」
背を向けたまま彼女は言葉を続ける。
「もしあたしやエデンがそのことを知らずにいたらね、シオンはきっとずっと一人でかかえこんでたと思うの。シオンみたいに世界を見るー、とかそういうのはないけど、でもエデンと旅するって決めたなら、しらないままじゃだめなんだって気付いたんだ。だから——」
身を翻すようにして今一度エデンに向き直ると、唇を引き結んだマグメルは決意に満ちた表情で告げる。
「——あたしね、もうあたしからにげない。これがじぶんなんだって、そういうふうに思うことにする! これからは、そうやって生きてくの!」
胸に手を添えて力強い口ぶりで言う彼女に、思いを込めた首肯を送る。
「——うん。自分も一緒に見て、一緒に受け止める。一人じゃないから」
シェアスールの皆のように、マグメルを恐ろしいものから守り続けることができるかと尋ねられたら、自信を持って「はい」と答えられるかはわからない。
守られているのはむしろ自身のほうで、身軽さを生かした戦いの技、さまざまな道具を操る手並み、そして人の心を揺さぶる歌声には何度も危機を救ってもらっている。
周囲を笑顔と音楽で満たし続けていたインボルクたちと何か違いがあるとすれば、それは同じ景色を見られることだけだ。
間人として、そしてその抱く忌まわしくもかけがえのない力を共有できる者として、そばにあり続けることはできる。
「いっしょ、っていいね」
答える彼女が顔に映す笑みは、うそ偽りのない本心からの笑顔であるように見える。
一緒に見る——たったそれだけしかできない自身が受けるには恐れ多い笑みに、エデンは見上げる彼女からそっと視線をそらした。




