第四百四十九話 熟 寝 (うまい)
目を覚ましたのは、種々雑多な品物が雑然と散乱する部屋の中だった。
起きたばかりの朦朧とした頭で周囲を見回せば、そこが落羽が森の中に結んだ庵であることが見て取れる。
己の横たわる寝台の脇に、椅子に腰掛けたまま眠るシオンの姿を認め、気を失う以前に彼女の言葉を思い出す。
覚悟をしておけとの忠告通り、指先から肘に掛けて両手には厳重に包帯が巻かれていた。
手だけではない。
顔から足まで、身体中の至る所に治療の跡が見られる。
シオンの手によるものであろうそれらは、一つ一つが丁寧な仕事によって施されている。
眠る彼女の様子から付き切りで面倒を見ていてくれたと考えるのは、少しばかり心おごりが過ぎるだろうか。
そんなことを思いながら、エデンは眠る寝顔に小さく感謝の言葉を伝えた。
「ありがとう」
治療の形跡を認識すると、先ほどまで感じていなかった痛みが全身を襲い始める。
特に酷使に酷使を重ねた指先に感じるそれはひどく、鼓動に合わせて脈打つように痛んだ。
こわばる身体を引きずって寝台から抜け出し、シオンを起こさないよう注意を払って立ち上がる。
窓から外を眺めても、目に映るのは以前と変わらない森の風景だ。
どれくらいの間眠っていたのかはわからなかったが、ふと浮き上がるのは丘の上の戦場での出来事が本当だったのかという疑念だ。
戦が終わったという事実は夢やまぼろしの類い、あるいは自身のまったくの勘違いでsり、今も二つの種は戦いの中にあるのではないだろうか。
「本当に戦は終わったのか」
今すぐにこの小屋を飛び出し、そう皆に尋ねて回りたかった。
「あ——」
壁に立て掛けられていたそれを目に留め、思わず驚きの声が漏れる。
起こしてしまったかとシオンを見やるが、彼女は目を覚ますことなく眠り続けていた。
小さく安堵したのち、それに——嘴人たちに連行された際に取り上げられたままだった剣に手を伸ばす。
ここにあるということは、誰かが樹上集落から持ち帰ってきてくれた、もしくは届けてくれたということだ。
もしもまだ嘴人たちと鱗人たちが戦の中にあるのなら、それが手元に返ってくることなどありはしないだろう。
剣がここにあるという事実が、戦の終結を示す何よりの証左だ。
そして鞘を握る手のうずくような鈍い痛みは、あの日の自身の行為が夢などではなく、現実であることを教えてくれていた。
「——力、借りずにできたよ」
眠るシオンの耳に届かぬよう、声を潜めて呟く。
もちろん一人でというわけにはいかなかったが、少なくとも剣の力を借りてはいない。
ラジャンから預かった——祀火の剣の武力に頼ることなく、思いを通すことができたのは事実だ。
もしもあの場に剣があれば、それを抜かなかったと、抜こうとしなかったという保証はどこにもない。
いつも危機を救ってくれた剣に頼っていたなら、今とは違った結末が訪れていたかもしれないのだ。
柄に手を伸ばしてみるが、包帯の何重にも巻かれた手ではうまく刃を引き抜くことはできなかった。
ふと脳裏をよぎるのは、この結果すらも剣によって成し遂げられた成果なのではないかという考えだ。
それを持たなかったからこそ絵を描くという方法を取り得たのだとすれば、剣は手の内にないことで力を貸してくれたことになる。
「考え過ぎ……かな」
呟きつつ小さく頭を振り、そんな考えを追いやるように剣を元の場所に置いた。
十分に気を付けてはいたが、剣は木の床に触れてかたりと音を鳴らす。
はっとシオンに視線を投げるが、思いの外眠りが深いのか、物音に誰よりも敏感なはずの彼女は一切目を覚ますそぶりを見せなかった。
小屋に主である落羽はなく、マグメルやカナンの姿も見当たらない。
散らかった品々をよけながら小屋の外に出たエデンが目にしたのは、いつかの自身のように、玄関前の階段に座り込むマグメルの背中だった。
「あっ!!」
膝を抱えて座り込んだ姿勢のまま頭部を後方にそらし、声を上げつつ頭上を仰ぐ。
跳ねるように立ち上がったかと思うと、マグメルはその勢いのままエデンに駆け寄った。
「エデン!! 起きたんだ!!」
いつものように両手を突き出して飛び付こうとするが、直前で急制動をかけて立ち止まる。
飛び付かれる心づもりをしていたエデンは、若干拍子抜けした気分を味わう。
抱き留めるために伸ばした両手を何事もなかったかのように下ろすと、頬を緩めてマグメルの顔を見下ろす。
彼女もまた「いひひ」とはにかんだような笑みを浮かべ、左右の手を背に回してみせた。
「おはよう、マグメル」
遅れて目覚めのあいさつを告げるエデンに、爪先立ったマグメルは顔を突き出しながら言う。
「おはようもおはよう、ほんとにおはようだよ!! ——もう!! エデン、丸二日もねむってたんだからね!!」
「ふ、二日……」
詰め寄る彼女から後ずさりつつ、その口にした言葉を繰り返す。
「……そっか、二日も——」
張り詰めていた緊張が解けたこと、身体のあちこちに負った傷による出血、そして眠ることなく森の中を行き来していた疲労が合わさって、丸二日の眠りへといざなわれたのだろう。
眠りにしては長過ぎるようにも思えるが、どこかでそれ以上の時間が経っていないことに安堵する気持ちもあった。
一週間やひと月を眠って過ごしているうちに、終わったはずの戦が再び繰り返されないとも限らないのだ。
剣は手の内にあるが、それでも本当に戦が終結を迎えているのか否かを、一刻も早く己の目で確かめておきたかった。




