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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第五章  嘴人 と 鱗人(はしびと と うろこびと) 篇   第六節 「鱗羽、相討ちて」
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第四百四十七話  翠 嵐 (すいらん)

 目を覚ましたとき、意識は先ほどまでとは別の場所にあった。


 見えているのは戦場となった砂礫の散らばる大地ではなく、草木の生い茂る丘の上だった。

 だがそこがまったく知らない場所などではないことは、遠方に望める森の屋根から姿を現す一本と六本の大樹が教えてくれている。

 丈の短い草本で覆われてはいるものの、そこが今方まで嘴人たちと鱗人たちの戦の場であった岩の丘であることがどういう訳か理解できた。

 戦場となるずっと以前、戦士たちに踏みならされて緑の枯れ果てる以前の風景だということが。

 そして今こうして見て——観ているのが、マグメルの力を共有することで垣間見る誰かの過去であり、記憶であることも。


 それを示すかのように、目の前の草原には二人の子供の姿があった。

 仲睦まじく遊ぶ二人の子供に、自身の知る者たちの面差しを重ねる。

 いまだ幼羽に身を包んではいるものの、その合間から緑とも青ともつかぬ生え立ての羽毛をのぞかせるのは幼い日のチャルチウィトルだろう。

 柔らかそうな緑色の鱗甲で身体を覆うもう一人はネフリティスに違いない。

 緑の丘の上を息が切れるまで走り、意味もなく草をちぎって投げ、口内に頬張った果物の種をどこまで飛ばせるかを競い合うなど、二人は子供らしい他愛ない遊びに興じていた。

 少年チャルチウィトルはネフリティスの鱗に触れてはその冷たさに感動し、少女ネフリティスはチャルチウィトルが必死に翼を羽ばたかせて飛ぶ姿を目にして憧憬にも似た念を抱く。

 少年は何度も少女を抱えて飛ぼうと試みるが、幼い彼には少しばかり荷が重い。

 もつれ合うようにして丘を転げ落ちた二人は散々泣いて、そして笑い合った。


 二人は互いの集落を抜け出してこの場で落ち合い、限られた時間を共に過ごした。

 少年が踊りの練習が嫌いだと愚痴を言えば、少女は武術の稽古が苦手だと共感する。

 そうして密かに友情を育んでいく二人だったが、少年にはどうしても少女に伝えることのできない秘密が一つあった。

 幼羽が抜け始めた頃、少年は自らが大樹に暮らす嘴人たちを導く次期の長となる身の上であることを知る。

 幼いながらも、それを伝えてしまえばこの宝物のような時間が消えてなくなってしまうことをうすうす感じ取っていたのだ。


 そんな思いとは裏腹に、幸せな時間はいとも簡単に終わりを告げる。

 密会を知って激怒した長により、少年は外出を固く禁じられてしまう。

 遊び相手が現れなくなった後も毎日のように丘の上に通い続けた少女だが、大切な時間は戻ってこないと諦めたのはどのくらいの日数が経った頃だろうか。

 やがて少女も約束の場所に足を運ぶことはなくなった。


 東の嘴人たちの次代を担う長として教育を受け、少年はその在り方とともに鱗人を憎むことを強制されるようになる。


「仇敵を恨め、竜の名を騙る者を許すな」


 日ごと夜ごと、刷り込まれ続けた。

 もちろん幼い日々の優しい思い出を忘れてしまっていたわけではなかったが、長として種を束ねる立場にある以上、少年には個人的な感傷を抱く権利は残されていなかった。

 そんな中でも少年は先代を恨んだことは一度としてなく、先代は先々代から、先々代はそのまた先代からといった具合に、負の遺産を受け継ぎ続けてきたことに対して哀れみすら覚えていた。

 まばゆいばかりのみどり色に生え換わった翼で選び取ったのは、自らの代で長きにわたる因縁を打ち止めにするという決断だ。

 どちらかが滅びを迎えることになっても、次代に禍根を残すことなく、己の代で決着を付けようと誓いを立てた。


 他方で同じ結論を出したのは、武術の稽古が得意ではないと語った少女だった。

 突然の別れを振り切るかのように、少女は兵卒として日々武芸の鍛錬に励む。

 小柄ながらも誰よりも懸命に修練を積んだ彼女は、幾度の生と死を経て生まれ変わり、いつしか大人たちも舌を巻く集落随一の兵士へと成長していった。

 信頼し合える友人や、慕ってくれる者たちも増えていくが、それは守るべきものが増えていくことと同じだった。

 最も強く、最も美しい女。

 二つの条件を満たした少女は長の任に就き、守るべき者たちのために戦うことを決意する。

 それは幼い日々の甘い記憶との決別を意味していた。


 くしくも同じ時期に互いが長となったことを知った二人は、それを竜の導きであると受け止める。


 竜と共にあれ。

 竜の名を汚すな。

 竜の誇りを忘れるな。

 竜の名に恥じぬ長となれ。

 竜の御名を我がものとせよ。

 竜を、竜を、竜を、竜、竜、竜——。


 いつしか竜は二人にとって、祖でも守護神でもなくなっていたのかもしれない。

 その名は呪いそのものとなり、心ごと身を縛るだけの枷になっていた。


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