第四百三十八話 飛 揚 (ひよう)
頭上高く突き上げられた刃の先——二人の頭上を振り仰いだエデンは、直上にあって両軍を眼下に見下ろす日輪を認めていた。
その放つ輝きに思わず目を細めたところで、鱗人の長ネフリティスのものであろう威令が耳に飛び込んでくる。
「鱗の勇者たちよ! 竜の御旗の下に集え! 地母神たる竜の名を騙る不届き者を大地に引きずり下ろすのだ!! 神祖より受け継ぎし冷たき竜の血を滾らせよ! 鬼神となりて存分にその勇猛を振るえ!! 全軍構えよ!!」
長ネフリティスに呼応するように、戦場に集った百余の鱗人の兵士たちも鬨の声を上げる。
「翼持つ者らよ! 今こそ雄飛の時ぞ! 死を恐れるな! 命を捨てよ!! 吾ら、輪廻の果てに再び翼を得て飛翔する者なり!! 地を這う者どもに目にもの見せよ、蒼天の下にその居所なきことを知らしめるのだ!! 勝利をもって竜の御名を永遠のものとせん! 皆の者ら、舞え!!」
同じく衛士たちの奮起を促すような号令を発すると、長チャルチウィトルは二人の侍従を下がらせる。
彼は翼から趾に槍を持ち替え、長く伸びた二本の尾羽を棚引かせながら先陣を切って舞い上がった。
衛士長トラトラツィニリストリ、トレトルとセクトリ、加えて彼ら以外の幾人かの衛士たちも槍を趾に持ち替えると、長に続けとばかりに翼を打って上空へと飛翔する。
一方で長ネフリティスを自らの背に押し隠すように前方に進み出たのは、兵士長の一人ヴァサルティスと、彼女が率いる重装の兵士たちだった。
規則立って隊列を組んだ重装兵によって隙間なく並べられた大盾は、前方と上方からの攻撃に備えるためであろうことがうかがえる。
舞い上がる嘴人たちと守備を固める鱗人たち、両種の間で正面から戦端を開いたのは衛士長トラトラツィニリストリだった。
他の誰よりも高く舞い上がった彼は、羽ばたきをやめて空中に静止し、趾に握った槍を再び翼に持ち替える。
そして自由落下の勢いに乗せ、翼に握った槍を鱗人たちに向かって投擲した。
トラトラツィニリストリの翼から離れた槍は、耳をつんざく雷鳴を轟かせながら鱗人の一人が手にした盾を貫く。
放たれた投槍が嚆矢の役を果たし、両種の会戦は幕を開けたのだった。
トラトラツィニリストリに続き、赤色のトレトルと青色のセクトリ、他の衛士たちも次々と投槍を放っていく。
羽ばたきをやめて行う空中からの投擲は極めて難度の高い技術なのだろう、それが可能なのは衛士たちの中でも幾人かに限られているようだった。
他の衛士たちは趾に握った槍を振るい、頭上から鱗人たちを攻め立てる。
後方には幾本もの槍を担いだ若い衛士たちが控え、翼に握った一本を頭上高く掲げていた。
投擲を終えて徒手となった衛士たちは彼らから新たな槍を受け取ると、翼を打って天高く舞い上がり、再び下方に向かってそれを投げ放つ。
そうして間断なく降り注ぐ槍の雨を、鱗人の兵士たちは守りを固めたまま黙って浴び続けていた。
自ら陣頭に立って盾を構える兵士長ヴァサルティスは、守備が手薄になった部分をいち早く察知し、重装の兵士たちの陣形を素早く入れ替える。
何度打ち貫かれても内側から次々と現れる新たな盾は、死と再生を繰り返す鱗人たちの命の在り方を連想させた。
「駄目だ、早く伝えないと! 行かないと……!!」
うわ言のように呟きながら、エデンは岩陰の外へ一歩を踏み出す。
だが戦場となった丘の中央へ歩を進めようとしたところで、少女二人に腕を取られ、腰に抱き付かれる形で阻止される。
「エデンさん!!」「エデン!!」
二人に押しとどめられてなおその場に立ち尽くすが、腰を抱えたマグメルによって強引に引き倒される。
「エデンのばか! なにしてんの!?」
地に伏しながらもはいずるようにして再び戦場に向かおうとするエデンを、彼女は覆いかぶさる形で制止する。
「——だからエデンってば!!」
その段になってようやく我を取り戻したエデンは、動きを封じるように身体に組み付くマグメルを振り返る。
「あ……じ、自分は——」
「自分は、じゃありませんっ!!」
心ここにあらずで呟くエデンの前に膝を突き、戒めるような口ぶりで言うのはシオンだ。
「言ったでしょう!! 止めようだなんて——身の程知らずな理想を抱かないでくださいと!!」
言って襟元をつかみ上げると、彼女は額が触れ合わんばかりに詰め寄った。
「貴方は——貴方のことだから、きっとこうなるのだとわかっていました!! 見てください——」
首をひねって強引に戦場に顔を向けさせ、固く唇を噛み締めつつ彼女は言う。
「——戦争はもう始まってしまったんです!! これが現実なんです!!」
「現実……でも——」
小刻みに震えるその手を取り、彼女に向き直る。
「——じゃあ、どうしてここまで……」
森の中を一緒に駆けてくれたのは、なんのためなのだろうか。
両種の戦いをやめさせることができないことが初めからわかっていたのなら、なぜ無茶に付き合ってくれたのだろう。
ふと抱いた疑問に対し、彼女は自虐的とも取れる表情と口調をもって答えを返す。
「これでわかっていただけたでしょう? ご自身の無力さ、人一人にできることとできないことが厳然として存在するということ」
「できることと……できないこと——」
「そうです。貴方にそれを知ってもらうには、ご自分の目で確かめてもらう必要がありました。力を持たない人の身では、どうにもならない状況があるということを知ってくださいと……そう言っているんです」
繰り返すエデンに対し、シオンは重ねて言う。
「だ、だけど——」
「それがおこがましいと言っているのがどうしてわからないのですかっ!!」
なおもあらがおうとするエデンを一喝し、彼女は一層固く襟元を握り締める。
「何度も言わせないでください! 貴方は——私たちはなんのためにここまで来たのですか!? 貴方の死でっ!! ……そのような形で旅を終わらせるつもりなのですか!!」
「それは……ち、違——」
襟元をつかむ手から力が抜けていくのが身体を通じて伝わってくる。
顔を伏せつつ弱々しく肩を落としたと思うと、シオンは消え入りそうな震え声で呟いた。
「……違いません」




