第四百三十四話 掛 縄 (かいじょう) Ⅱ
しばし見合っていたエデンとトラトラツィニリストリだが、不意にその間に割り入ったのは、それまで黙って状況を静観していた落羽だった。
「毎度のことだが衛士長殿はやることが極端過ぎる。もうちょっとこう、融通を利かせてもらうわけにはいかないのかね」
エデンから落羽に視線を移すと、トラトラツィニリストリはその言を切り捨てるように言う。
「集落を追放されたお前の出る幕ではない。我らの問題に要らぬ嘴を挟まないでもらおう」
「そうかいそうかい、だったらここは俺の城だ。お前らに好き勝手される道理はないね」
鋭い視線をもってにらみ付けるトラトラツィニリストリに臆することなく、落羽はその言葉を正面から受け止める。
「それからこの娘は俺の患者だ。寛解するか死ぬかするまで、誰にも手出しはさせない。どうしても連れて行くっていうなら今すぐに治してみせろよ。それができないなら、ご自慢の雷でひと刺しにしたらどうだ? ——もちろん俺はここから動かんぞ。やるなら俺ごとだ」
「落羽……」
背中を向ける彼に対し、呟くようにその名を呼ぶ。
落羽はちらりと後方を顧みると、目配せとともに諦め交じりに言った。
「毒を食らわばなんとやら——ってやつさ。……食らったのは俺じゃないがね」
再びトラトラツィニリストリに向き直った彼は、一段声を低めて口を開く。
「お前には感謝しているよ。空を奪われはしたが、おかげで命までは取られずに済んだんだからな。昔は生き恥をさらしているだけだと捨て鉢になったもんだが、今はそれでも生きていて良かったって思えるよ。こうやってまた誰かを救えて——俺の話を聞いてくれる奇特な奴に巡り合うこともできた」
肩をすくめ、どこかおどけたしぐさで続ける。
「数年越しになっちまったが礼を言うぜ。あのときは助かった」
「お前らしくもないことを言う。いったいどういう風の吹き回しだ」
突然の感謝の言葉に動揺を見せることもなく、トラトラツィニリストリは表情を変えずに答える。
「さあね」
はぐらかすように言ってみせたのち、落羽はそれた話題を本題へと戻した。
「ま、そいつとこいつとは話が別だ。けが人抱えて逃げるなんて芸当が可能かどうか、お前が一番よく知ってるんじゃないか?」
そう言って彼は、力なくぶら下がった右の翼を左の翼で指さしてみせる。
しばし逡巡を見せたのち、トラトラツィニリストリは無言でカナンの眠る寝台から遠ざかる。
そして積み上がったさまざまな品をまたぎながら落羽の脇を通り過ぎ、そのまま小屋から出ていった。
カナンを引き起こそうとしていた二人の嘴人によって、エデンも小屋の外へと連れ出される。
引き立てられながらも振り返ってカナンに思いを残せば、落羽は「安心しろ」とでも言うようにうなずいてみせた。
小屋の外に追い立てられたのちに見たのは、後ろ手に縛られたシオンと、今まさに縄を打たれようとしているマグメルだった。
自ら腕を差し出しつつ、彼女は何かを思い出したかのように声を上げた。
「エデン! ほら、あれ!!」
「あれ……」
その意を理解できずに呟くが、はたと気付いて手を打つ。
「あ!! そ、その……ちょっと待って!!」
自身の背を押す二人の嘴人の間をすり抜け、いったん小屋の中へと取って返す。
玄関先に束にして置いてあったそれを拾い上げると、再び外に戻ったエデンはトレトルに向かって手の中のものを手渡した。
昨晩マグメルと二人で摘んだ、血止めの薬草だ。
テポストリを含むけがをした者たちの役に立てばと考えて摘み集めたものだが、戦が本格化すれば気休めにもならないのかもしれない。
トレトルは翼に握ったそれをじっと見下ろしたのち、セクトリに視線をもって合図を送る。
エデンは歩み寄る彼に背を向け、マグメルがしていたように両手を差し出してみせる。
縄を打たれる中、セクトリが小さく呟くのを聞いた。
「許せ」
後ろ手に捕縛された状態のまま、三人は東の嘴人たちの暮らす樹上集落へ連行されることとなった。
引き立てられるようにして歩きながら、エデンは何度も先を行く衛士長トラトラツィニリストリに自身の意を告げようとした。
落羽に見せてもらった一冊の書物——そこに描かれていた竜について伝えれば、東の嘴人たちと沼の鱗人たちを取り巻く現状を打破することができるかもしれない。
口を開こうとしては閉じるを、幾度となく繰り返す。
何物でもない自身が書物に描かれたその事実を語ったとして、信じてもらえる保証などどこにもない。
それどころか若き日の落羽と同様に、一切聞く耳を持ってもらえない可能性のほうが高いだろう。
無視や黙殺ならばまだいい。
一触即発の状況下で不用意な発言をして彼らの怒りに触れ、仲間たちの身を危うくするようなことがあってはならない。
「ほどいてー! はなしてー!」
「うるさい!! 静かにしてくれ!!」
始終文句ばかりのマグメルに、赤色のトレトルも業を煮やしたように声を荒らげている。
一方で黙って従順に歩を進めるシオンの後方では、青色のセクトリが同じく無言で縄の端を握っていた。
先を進むトラトラツィニリストリの後ろ姿と、時折振り返って自身らを検める表情に、泰然として揺るがぬ覚悟のようなものと、それに反する凄烈な気迫を垣間見る。
そこに同胞たちを送る踊りを披露した際の、嘴人たちの生と死について語ってくれたときの、果物は苦手だと照れくさそうにはにかんでいた彼の面影はない。
一と八の大樹と樹上に暮らす人々を守護する衛士長という肩書きの持つ義務と責任だけが、その表情に色を映しているように見えた。
そうして森の中を歩き続け、一行は樹上集落へとたどり着く。
縛られたままの三人は、恐らく荷揚げ用であろう籠を使って樹上につり上げられることになる。
思わぬ形での帰還を果たしたエデンとマグメルに、集落の人々は複雑な感情の入り交じった視線を注いでいた。
強い憎悪と深い失望の込められた視線は、自身らが鱗人たちの内通者であると聞かされたであろう衛士たちのものだ。
同情と憐憫の目で見詰める者たちの中には、孵卵室で出会った灰褐色の羽毛の嘴人も含まれていた。
南東に位置する兌樹から樹上に引き上げられ、つり橋を渡って北東の震樹まで連行されたエデンたちは、武具を取り上げられた上で、空の倉庫に押し込まれる運びとなった。
トラトラツィニリストリは倉庫番であろう嘴人に扉を施錠させたのち、格子の取り付けられた小窓から倉庫の中をのぞき込んだ。
「お願いだよ!! 長に——チャルチウィトルに話したいことがあるんだ!! だから、今すぐに会わせてほしい!!」
倉庫の内側から扉に取り付くと、懇願するように声を上げる。
叫び交じりに言い立てるエデンだったが、トラトラツィニリストリは表情を動かすことなく切り捨てる。
「もう遅いのだ」
「遅い——って……」
「これより我ら東の嘴人は一挙に打って出る。今日こそ竜の末裔を騙る僭称者どもからその名を取り戻す」
「そ、そんな……!! 駄目だ!! 戦っちゃ駄目なんだ!!」
小窓から顔をのぞかせて訴えるように言えば、倉庫の扉に背を向けたトラトラツィニリストリは呟くように言う。
「今日で全てが終わる。永きにわたって続いた因縁もここに終焉を迎えるのだ。我らと奴ら——どちらが竜の名を手にしようともな」
言って去りかける彼の背に、エデンを押しのけるようにして声を掛けたのはマグメルだ。
「テポちゃん! テポちゃんは無事なの!?」
トラトラツィニリストリは足を止め、背を向けたまま彼女の問いに答える。
「命は取り留めた」
「よかった……」
彼女は安堵に顔を明るくさせ、エデンもまた同意するように繰り返しうなずいた。
トラトラツィニリストリは後方を一瞥し、続いて頭上を見上げて口を開く。
「中天に昇る日が開戦の合図だ。勇猛なる東の嘴人に勝利以外の結末など有り得ぬが——万が一我らが敗れた際には、何にも優先してこの扉を開け放つように命じてある。そのときは、どこへなりとも逃げるがいい。あの娘を連れて——」
そこで一度言葉を切ると、顔を伏せた彼は続けて言った。
「——かなうならばあの愚かで哀れな男も拾ってやってくれ」
槍を趾に持ち替え、身を屈めて翼を広げる。
「ま、待って!!」
「しからば御免」
格子に顔を押し付けるようにして呼び掛けるが、トラトラツィニリストリはそう言い残して飛び立ってしまった。




