第四百二十七話 残 烟 (ざんえん) Ⅰ
「——なるほどな」
エデンの語る今日ここに至るまでの経緯を聞き、落羽は収まりの悪い冠羽をなで付けながら言った。
「おおかたのところは理解したよ。長く膠着状態が続いていた両種の確執はついに本格的な闘争へと発展し、いまや一触即発の空気に満ち満ちている——ってな具合であっているかな?」
「……うん、そう——だと思う。このまま放っておいたらもっと大きくなって、きっとどっちからもたくさんのけが人が出る。それに、それから——」
「死人も出るだろうな」
濁した語尾を引き継ぐ形で落羽は続ける。
「当然の成り行きだな。それが戦争ってやつさ。勝利を手にした側が誉れある竜の御名を我がものとし、敗者は神である竜を奪われ、簒奪者の汚名を着せられることになる——か」
「そ、そんな……!!」
思わず立ち上がり、書物の上に腰を下ろした落羽に詰め寄らんばかりの勢いで言う。
「そんな……そんなひどいこと——」
「ひどくなければ戦争とは呼ばないさ。誰もが無益だと、無意味だと理解していながら、それでも繰り返さずにはいられない。数多の愚行の中でも人のなし得る最も愚かしい行為、それが戦争だ」
落羽は切り捨てるように言うと、茶代わりの水をひと息に飲み干した。
彼が空になった水飲みを置いた窓台には、湯飲みや酒杯など大小さまざまな容器が並んでいる。
それらを次々に指先ではじきながら落羽は続ける。
「お前さんたちとひと悶着あったっていう蛙人、言ってみればあれも戦争の被害者なんだぜ」
「彼らが……?」
寝台に眠るカナンを一瞥し、次いでエデンたち三人に順に視線を巡らせながら落羽は切り出す。
「ずいぶんと昔の話だが、大きな争いがあったのは知ってるか? 都と都の間で起こった戦争の話だ」
「……うん」
答えて寝台に背中を預けて座るシオンを見やる。
かつてこの大陸中を巻き込む形で引き起こされた戦争の話、はるか以前に終結を迎えたにもかかわらずその残り火があちらこちらでくすぶり続けていることは、自由市場を旅立つに当たって先生から教えてもらっていた。
それに関する知識が十分ではなく、学ぶべき事実が山ほど残っていることは理解しているつもりだが、大河に架かる橋を境に二つに分かれた自由市場の在り方こそ、戦争の残した置き土産そのものであることは自らの目と耳をもって知り得ている。
「たくさんの人が命を落としたって、そういうふうに聞いてる。それで、終わったけど終わらないのが……戦争」
水の入った木製の酒杯を両手で抱えるようにして握り締め、ふさわしい言葉を探りながらエデンは言う。
「言い得て妙だな」
落羽は感心したようにうなずき、仕切り直すように口を開いた。
「それでだ。戦争は何百、何千、何万もの命を奪った。その中には従軍した戦士たちだけでなく、都に暮らしていた市井の人々も含まれている。双方に甚大な被害をもたらし、経済に損失を与え、人々にわずかばかりの教訓を残して戦争は終わった。二度と同じ過ちを繰り返さないように……いつ忘れてもおかしくない二日酔いの朝のようなささやかな誓いとともに、人は復興のために力を尽くしてきた。己の身をもって戦争を味わった者たちは世を去り、今を生きるのは——当然俺もだが、伝聞でしかその惨状を知らない世代だ。だが人がいくら自分たちに都合の悪いことを忘れ去ったとしても、大地は、植物は、水は、風は、人の犯した過ちを忘れちゃくれない。殺すのは人だけじゃない、土地すらも殺すのが戦争だ。踏み荒らされた田畑に再び作物が実るまでにどれほどの労力を要するかなんて、槍や剣を手にした者たちには知りようもないだろう。戦の道具を運ぶために切り倒した樹々が元の森に戻るまでにかかる時間も、武器や防具を作るために切り崩した山が周囲の環境にどんな影響をおよぼすのかも、武具を振るう者には関係のない話だからな」
一枚の翼を大ぶりに振るい、時に頭をかきむしりながら、落羽は雄弁に述べ立てる。
黙って耳を傾けるエデンを正面に見据えながら、彼は言葉を続けた。
「大地と水の交わるところ。それが蛙人を含む潤人たちが生きるのに欠かせない場所だ。戦争によって喚起された鉄や銅の需要は、彼らから時間をかけてその居所を奪い去っていった。すみかを追われた者たちは限られた水辺や渓谷を巡って争い、潤人たちは人知れずその数を減らしていったんだ。お前さんたちを襲った奴らの事情は知らないが、今でもなんでも屋や傭兵稼業を身過ぎ世過ぎの手立てにしながら、安住の地を求めて大陸中をさまよい歩いている連中もいるって聞いたことがある。そんな奴らからすれば、この辺り一帯は喉から手が出るほど欲しい理想郷なのかもしれないな」
「彼らが——」
先ほど遭遇した三人の蛙人たちのことを思い出す。
もしも彼らが落羽の言うように故郷を追われて流れ歩く放浪の身であるなら、それは記憶と故郷を持たない自身と変わらない事情を抱えているのかもしれない。
嘴人と鱗人が争い合っている間に労せずその土地を得ようと画策しているであろうことは、カマルと名乗った小柄な蛙人の口ぶりから察せられた。
もちろんそれが不当な行いであることは理解しているが、置かれた立場を鑑みれば、完全に憎み切れない部分もなくはなかった。




