第四百二十六話 小 康 (しょうこう)
取るものも取りあえず小屋に駆け込み、寝台の上のカナンに歩み寄る。
依然としてその息遣いは乱れ、顔は熱を持ったかのように上気している。
創傷を負った頬には被覆材があてがわれ、左右の手にも包帯が巻かれていたが、不思議と先ほどよりも表情が安らかに見えるのは、落羽の施してくれた治療のおかげだろうか。
「か、彼女は——」
寝台の傍ら、積み上げた書物の上に腰を下ろした彼に、問うような視線を投げ掛ける。
「命に別状はないよ。二、三日休めば元通りに動けるようになるだろうさ」
「元通りに……」
繰り返すように呟き、今一度寝台の上のカナンを見下ろす。
「そっか、元通りに……」
湧き上がる安堵と全身を包む脱力感に、エデンは思わず膝を落としてその場に座り込んでいた。
「よかったー!!」
涙声を上げて寝台のカナンに飛び付こうとするマグメルだが、すんでのところでシオンに腕を取られて押しとどめられていた。
「ありがとう、落羽。……カナンを助けてくれて」
「感謝してくれているのは有難いが、俺は大したことはしていない。処置のほうはそこの彼女が全部やってくれたし——」
落羽はマグメルともみ合うシオンを一瞥し、視線を寝台の上のカナンに移す。
「——これ以上悪くなるようなら別の手を打たなければと考えていたんだが、その必要もなかったというわけさ。並外れた生命力のたまものか、それとも何か強い意志みたいなやつがそうさせているのかはわからないが、とにかくこの娘からは必死に生きようっていう力が痛いほど伝わってくる。目を覚ましたら、お前さんからも褒めてやってくれよ。——よく頑張ったってな」
「……うん」
答えて寝台の上のカナンを見詰め、エデンは万感の思いを込めて呟いた。
「本当によかった」
「出ていったと思ったらこんな大人数で、しかもけが人まで連れて帰ってくるとはな。本当に退屈しない奴だよ、お前さんは」
皮肉げな笑みを浮かべて言ったのち、落羽は横目でシオンを見やる。
「彼女から申し訳程度に聞いたが、旅をしているんだってな。よかったら話を聞かせてくれないか。世事にそれほど興味はないが、茶請けにはちょうどいい」
崩れ落ちた書物や道具類を踏み越えるようにして壁に据え付けられた木棚に歩み寄り、落羽は棚の上に並ぶ壺や小瓶などを引っ繰り返し始める。
「でも自分たちは……その、そんなにのんびりしていられなくて——」
「樹の上の奴らが心配かい?」」
エデンの抱く憂慮を読んだかのように言ってその場にしゃがみ込んだ落羽は、床に散らかった品々を拾っては投げ、投げては拾いを繰り返す。
「嘴人にとっても鱗人にとっても、基本的に夜は安息の時間さ。お日さまの出ている間じゃないと満足に見えない者たちと満足に動けない者たち、なかなかお似合い同士じゃないか」
言って乾いた含み笑いを漏らす。
「あ、朝までは大きな衝突はないって……そういうこと?」
「そういうことだ」
エデンの口にした言葉を繰り返す形で応じ、落羽は背を向けたまま言い添えた。
「そこから先のことは知らないがね」
「確かにあったはずなんだが」「どこに置いたかな」
ぶつぶつ言いながら探し物を続ける背中に、エデンは立ち上がって声を掛ける。
「お茶の葉? 自分も一緒に探すよ」
「ああ、それもなんだが——」
振り返って落羽は言う。
「——まず湯釜がない」
「え……」
呟くエデンを見据えつつ、思い出したように続ける。
「そういえば湯飲みもどこへいった? ——ああ、薪も切らしてるな」
「なんにもないんじゃん」
あきれ気味に呟くマグメルに続き、シオンもため息交じりに言い捨てた。
「お茶は結構ですので」
「いいのかい? 探せば出てくると思うぞ。欲しいものってのは意外と近くに眠ってるもんだ。釜も湯飲みも葉っぱもな」
落羽はシオンを見上げて尋ね返すが、彼女はいら立った様子で声を荒らげる。
「引っかき回して探さないと出てこない道具で入れた、あるのかどうかもわからないお茶なんていりませんっ!!」
「そんなに怒ることないだろ」
「……どうしてこう、そろいもそろって」
不思議そうな顔をして漏らす落羽を前に、シオンは心底辟易したように呟いていた。




