第四百二十四話 荼 毒 (とどく)
「な、なんだったんだろう……」
三人が消えた後もぼうぜんとその場に立ち尽くしていたエデンだったが、ふと前方に立つカナンの異変を目に留める。
ゆらりと身体をかしがせたかと思うと、彼女はその場に力なく膝を突いてしまった。
「カナン!!」
名を呼んで傍らに駆け寄ったところで見たのは、うつろなまなざしをたたえた横顔だった。
頬に刻まれた一筋の切創を見て取り、瞬時に状況を察する。
「ど、毒——」
「私なら……大丈夫だ」
カナンは満足に回らない呂律で答えると、エデンの肩に手を添えて立ち上がろうとする。
しかしながらその足つきは定まらず、今にも沼の中に落下してしまいそうなほどにおぼつかない。
「あ、危ないっ……!!」
よろめく彼女を抱き寄せるようにして支え、今一度木道の上に引き据える。
触れた際に気付いたのは、手足に伝わる小刻みな震えだ。
全身は力が抜けたように弛緩し、視線もどこか遠くを見ているように見受けられる。
続いて駆け寄ったマグメルは自らの腰袋を探り、先ほどテポストリにしたのと同様に、カナンの傷口と掌を水で洗い流した。
「私のことは——気にしないでくれ。ここに——捨て置いてくれて構わない。……後で必ず追い付く。だから……先に行け」
「そ、そんなこと……!! カナンも一緒に——」
途切れ途切れながらも訴え掛けるように言う彼女に、エデンは自身の意を告げる。
「行けっ……! 君は……君のすべきことを——するんだ……」
震える声と回らない舌で言い、カナンは震える手でエデンの腕を握る。
弱々しい手つきと焦点の定まらない瞳からは、普段の凛呼とした面影はまったくもって感じられない。
「で、でも……カナンが一緒じゃないと——」
「彼女が——シオンが言っていた。君が……このまま去ることのできる男では——ないと」
「シオンが……?」
「あれは……君のことをよく知っているんだな。君の力になりたいと言って……いろいろと——調べて回っていたぞ。話を——聞いて……やってくれ」
口を利くのも困難そうな状態にもかかわらず、気力を振り絞るようにして言葉を発した。
「う、うん……!! もちろん聞く、聞くけど……だからカナンも!」
「必ず——追い付く。君は……君の——すべきことを——」
己に言い聞かせるように呟いたのち、カナンは昏倒するようにエデンの身体にもたれかかってしまった。
「カナン!! ——カナンっ!!」
呼んでも返事はなく、返ってくるのは荒く乱れた呼吸だけだ。
胸は上下してはいるものの、予断を許さない状況にあることは明らかだ。
「こんなとき……どうすれば——」
救いを求め、マグメルに視線を投げる。
先ほどのような手際で応急的な処置をしてくれればとの考えの元に見上げるが、彼女は左右に小さく首を振って応じる。
「あのときとはちがうの。毒にもいろいろしゅるいがあって、テポちゃんのは血の毒。カナンのは——これはみゃくの毒。だからあたしにはどうすることもできないし……げどくざいもないの」
「ど、どうすることもできないって、それじゃ……」
繰り返し呟き、腕の中で苦悶の表情を浮かべるカナンを見下ろす。
「——カナンさんの生命力次第ということです」
後方から聞こえる声に振り返ったエデンは、二人分の荷物を抱えたシオンの姿を目に留める。
「シオン!!」
「……道が途中でなくなっていましたので、回り道をしてきました」
肩で息をしつつ弓と荷物をその場に置くと、彼女はカナンの傍らに膝を突く。
「シオン……! カナンが——その、蛙人の毒で——」
「事のおおむねは把握しているつもりです」
言ってシオンはカナンの顔や目、手首などに触れる。
ひと通りその状態を目近く見調べたのち、カナンの額に自らの掌を添えながら言った。
「彼女、言っていました。もしも自身に何かがあったときは遠慮なく先に進んでくれと。一度でも貴方を——エデンさんを守ることができたなら同行した意味がある——のだそうです。莫迦なことを言わないでくださいと聞き過ごしたのですが、これほど早くそのときが訪れるとは思いもしませんでした」
そこまで言ってあきれたように「ふ」と息をつくと、シオンはエデンを見据えて言葉を続ける。
「——それで、どうします? 悲願通り、この場に捨てていきますか?」
問い掛けつつも、彼女はエデンの答えを待つことなく立ち上がっていた。
放り出した荷物に歩み寄り、自らの背嚢に手を伸ばす。
「みんなで……四人で行こう」
迷いなく答えると、エデンは背中をカナンの身体の下に滑り込ませる。
気を失って脱力する彼女を背に負って立ち上がり、シオンとマグメルに向かって改めて告げる。
「みんなで行くんだ。まずは東に——それから、北に」
「愚問でしたね」
シオンは観念したように言って背嚢を背負い直し、続けてカナンの肩掛け袋を拾い上げようとする。
だがそれよりも早く肩掛け袋に手を伸ばしたのはマグメルで、次いで彼女は木道の上に転がった槍を手に取った。
「ほらほら、早く行こ!! こんなとこにいたらまた見つかっちゃうよ!!」
「行くのはいいのですが——」
槍を掲げながら声を上げるマグメルを横目に見ながら、シオンは訝しげな表情を浮かべて言う。
「——当てはあるのですか?」
「当ては……うん、きっと力になってくれると思う」
「貴方がそう仰るのなら」
答えるエデンを眼鏡越しに見据え、シオンは静かにうなずいた。




