第四百十七話 紫 電 (しでん)
「翼を切るのは——慣れている」
言うが早いか、トラトラツィニリストリはテポストリに向き直ると、翼に握った剣を電光石火の早業で一閃させる。
コスティクとイスタクによって押さえ付けられたテポストリの身体から、切り落とされた左の翼がばさりと音をたてて地に落ちる。
辺りに黒い羽根とあかか赤とした鮮血が舞い散る中、わずかの間を置いてテポストリの口から周囲一帯に響き渡らんほどの悲鳴が上がった。
「ああああああああああああああ!! ——あ、ぐ……うあああああっ……!!!!」
激しく身体を暴れされるたび、血と羽根が舞う。
目を閉じ耳をふさぎたくなるような絶叫の中で、灰褐色の嘴人に向かって指示を出すトラトラツィニリストリの口調はあくまで冷静だった。
「止血を」
コスティクとイスタク、加えて手の空いた嘴人たちに数人がかりで押さえ付けられたテポストリの元に歩み寄ると、彼女は切断面を圧迫するようにして血止めを図る。
その様子をじっと見据えていたトラトラツィニリストリだったが、ややあって緊張を解き放つように小さく嘆息した。
剣の柄を翼で打ち、雨傘の滴を払い落としでもするかのように血を払うと、さらに自らの羽毛をもって刃を拭う。
刀身を鞘に納めた彼は立ち尽くすエデンに歩み寄り、両の翼で捧げ持つ形で剣を差し出した。
「かたじけない」
「あ——う、うん……」
差し出されたそれを受け取って腰帯に差し直すエデンに対し、続けてトラトラツィニリストリは深々と頭を下げた。
「客人よ、貴公の声に救われた。加えて我らが同胞の窮地に身をていしてくれたこと、感謝の言葉もない」
「……そ、それはいいんだ——」
答えて痛ましい絶叫を上げ続けるテポストリを見やれば、ちょうど担架に乗せられて樹上へと運ばれていくところだった。
「あ——!!」
思い立って駆け出し、今まさに飛び立とうとしていた灰褐色の羽毛の嘴人に、拾い上げた籠を押し付けるようにして手渡す。
「——こ、これ……!! 摘んできたんだ! 頼まれた薬草だと思うから!!」
「は、はい! ありがとうございます……!」
嘴人は浮足立った様子で答え、籠の中に薬草とともに収まっていた小さな壺を目に留める。
「こ、これは一緒に飲むといいらしくて——」
効果を説明しようとするエデンだったが、彼女は壺に視線を落としたまま「存じています」と呟く。
「本当にありがとうございました……大切に使わせていただきます! お師さまによろしくお伝えください!」
地に伏さんばかりに低頭して言うと、籠を趾に持ち替えた彼女はあっという間にその場を飛び去っていった。
嘴人たちの去った先をぼうぜんと見詰めるエデンだったが、マグメルの呼び声を受けて我に返る。
「エデン」
見上げるその視線に、その言わんとするところを理解する。
確かにテポストリのことは心配だ。
だがどれだけ心を砕こうとも、それでテポストリの状態が良い方向に向かうことなどありはしない。
今はただその生命力と、治療に当たる嘴人たちを信じるより他はないのだ。
なすべきは、一刻も早くシオンとカナンの元に赴くことだ。
自身の振る舞いで「間人」を鱗人の敵にしてしまったことを伝え、彼女らを危険から遠ざけることが先決だ。
すでにこの場を去っている兵士長カプニアスらに追い付くことは難しいかもしれないが、それでもできる限り早急に二人のところに駆け付けねばならない。
見上げるマグメルに「うん」とうなずきを返したのち、一人大樹の根元に残った衛士長トラトラツィニリストリに向かって言う。
「自分たちには行かなくちゃならないところがあって——」
口を開こうとしたところを翼を差し出して遮り、彼はたったひと言だけ告げる。
「旅人の行く先を問うことなどせぬ」
答えて樹上に消えるその姿を見送ると、エデンはマグメルと共に再び森の中を走り出した。
一日――半ば無理やり頼み込んで作ってもらった猶予が、まさかこんな結果を生むとは思いもしなかった。
二人の言うように昨夜のうちに森を後にしていれば、この状況に立ち会うことはなかっただろう。
では初めからこの大森林を訪ねなかったなら、東の嘴人たちと沼の鱗人たちの間の確執を知らぬまま東へ進路を取っていたなら、今とはまた違う状況になっていただろうか。
自身らがこの地を訪れたことが争いの熾火を燃え上がらせる契機なのかもしれないと考えると、悔やんでも悔み切れない。
加えてこれから二人で沼の鱗人たちの暮らす集落に向かうという行為が、果たして情勢にどんな影響を与えるかもわからない。
それでも今はとにかくシオンとカナンの元へ急がなければならない。
傍らを無言のまま駆けるマグメルと共に、エデンはあらん限りの力を振り絞って
走り続けた。




