第四百十五話 加 担 (かたん) Ⅱ
腰帯に差した鞘から剣を抜き放つ。
震える手つきで刃を反転させ、片刃の剣の刀背を相手に向けて構えを取る。
「貴様……!!」
その様を目にした兵士長カプニアスはいら立ったように吐き捨て、声を荒らげて叫びを上げた。
「どこまで我らを愚弄する!!」
もちろん侮ろうという意図などはなからなかった。
それどころか彼我の実力差は明確過ぎるほどに理解しているつもりだ。
彼女の振るう戟の一閃、あるいは尾の一撃をかわし切れる自信など毛頭ない。
だが誰かを守るために剣を抜かなければならない状況の中で、今の自身にできる意志と姿勢の表明の手段は——刃を返して構えることだけしかなかった。
兵士長カプニアスはそれを自らに対する軽視か挑発と受け取ったのだろう、より一層怒りを怒りの色を強くさせる。
「ち、違——」
弁明の言葉を聞き入れるより早く、彼女は手にした戟を振り上げていた。
「——うわっ……!!」
すさまじい勢いで振るわれるそれを剣で受けようとするが、襟首を引かれて尻もちをつくように後方に倒れ込む。
頭上を通り過ぎた戟先の巻き起こす風を浴びつつ、自身を引き倒したのが傍らのマグメルであることを理解する。
尻を打って座り込むエデンを見下ろし、彼女はにっと歯を見せて笑ってみせた。
「やっぱりあたしも見てるだけなんてやだ」
マグメルは戟を引き戻すカプニアスに視線を移すと、乾いた唇を湿らせるように舌なめずりをした。
「あたし、もうじゅうぶんにげてきた。だから、これからは——守る番!」
言うや背から一対の短剣をすらりと抜き放った彼女は、カプニアスに向かって身を低くして駆けた。
再度なぎ払うように振るわれる三叉の戟を身を屈めてかわすと、次いで繰り出される尾の一撃を跳び上がってかわす。
「ほ」と口にして振るわれた尾に飛び乗ったかと思えば、マグメルはそのまま兵士長カプニアスの身体を駆け上がり、身を包む鎧の肩口辺りに無言で短剣の刃を突き刺した。
「……あれ?」
刃を突き立てた体勢のまま固まってしまった彼女は、いかにもいぶかしげ呟いて目を白黒させる。
見れば確かに短剣の刃は鎧の隙間を貫いていたが、どうやらその下の鱗を突き通すには至らなかったようだ。
カプニアスは腕を大きく振り払ってマグメルの身体を吹き飛ばすと、足元に転がった彼女に対してその巨大な顎を開け放った。
「わわ、待って待って!!」
両手を突き出しつつ後ずさりするマグメルだったが、カプニアスは口を開けたまま大股で彼女に迫る。
「マグメル!!」
大声で名を呼んで駆け出すエデンだったが、カプニアスはより一層大きく開け放った口でマグメルに食らい付いた。
強靭な顎で嚙み付かれ、無傷で済む者などいはしないだろう。
「——マグメルっ!!」
今一度声の限りにその名を呼んだ瞬間、彼女はカプニアスの股の間からはい出してくる。
「ひー! あぶなかったー……!!」
エデンの元まで戻ると、マグメルは両手で肩をさすりながら身を震わせた。
ひとまず彼女が無事であったことに安堵するも、依然として状況は厳しいことに変わりはない。
変わらず樹上ではトラトラツィニリストリと細身の鱗人が相対し、周囲では嘴人の衛士たちと鱗人の兵士たちの戦いが再開されている。
このまま手をこまねいていては、毒は確実にテポストリの身体をむしばんでいくだろう。
「ひはあ……!!」
顔を上げたカプニアスの口には、マグメルのものであろう短剣の鞘がまるでつっかえ棒のように差し込まれている。
彼女は怒りに震える手で口内に差し入れられた鞘を引き抜くと、手にしたそれを荒ぶる感情のままに大地にたたき付けた。
「貴様ら……!! 神聖なる戦いを卑しめる数々の行為、断じて許さんぞ!! 生け捕りにして、我らが女神の御前にひれ伏させてくれるわ!!」
兵士長カプニアスと戦うという蛮行に及ぶよりも、この場はテポストリを抱えて逃げるほうが正しいに違いない。
だが怒りに燃える彼女がみずみす自分たちを逃すようなことをするだろうか。
それに今この場から逃げ出せたとしても、テポストリ救う手立てなどどこにあるのだろう。
頭をひねるエデンの胸中を、一人の嘴人の顔がかすめる。
森の中で隠者のような暮らしをしているあの嘴人ならば、テポストリを救う方法を知っているかもしれない。
「そうだ、落羽のところに……!」
呟くエデンの言葉を聞き留めたのだろう、マグメルは小さくうなずいて一歩前へ進み出る。
「ここはあたしにまかせて、エデンはテポちゃんをおねがい」
彼女は歩み寄るカプニアスを見据えて言うと、「でも」と口を開きかけるエデンに先んじるように続けて口を開く。
「早く! きっとあんまり長くもたないよ」
「う、うん……!」
悪夢にうなされでもするかのようにうめき声を漏らすテポストリと、左右の手に握った一対の短剣を構え直すマグメルの間に視線を巡らせたのち、エデンは覚悟を決めるようにもう一度「うん」と声にした。
手すさびに短剣を掌の中で回転させるマグメルから視線を引き戻し、テポストリの脇に膝を突く。
そして横たわる身体に両の手を差し伸ばそうとしたときのこと、突如として頭上から落下してくる何かを目に留める。
ちょうどエデンたちとカプニアスの間に落ちたそれは、先ほどから枝上でトラトラツィニリストリと矛を交えていた——テポストリの翼に毒の矢を打ち込んだ細身の鱗人だった。
兵士長カプニアスは倒れ伏したその身体を見下ろし、続けて視線を頭上に向ける。
わずかののち、樹上から舞い降りたのは衛士長トラトラツィニリストリで、彼は翼に持ち替えた投槍をカプニアスに突き付けながら口を開いた。
「兵士長カプニアス、次は貴様だ」
彼に続く形で二人の嘴人が大地に下り立つ。
金銀の羽毛に身を包んだ衛士、コスティクとイスタクだった。
三人の衛士たちに槍を突き付けられたカプニアスは怒りに任せて戟をひと振るいし、足元に横たわる鱗人の身体を抱え上げる。
「も、申し訳ありません……! 私としたことが——」
「喋るな、オフィオイディス」
その名であろう言葉で呼び掛けると、兵士長カプニアスは周囲の鱗人たち向かって大声で告げた。
「今日のところは奴らに勝利を譲る! 総員、撤退せよ!!」
彼女の放った号令を受け、嘴人たちと切り結んでいた鱗人の兵士たちも徐々に転進の動きを見せ始める。
撤兵を最後まで見届けた兵士長カプニアスは、オフィオイディスと呼んだ鱗人を肩に担いだまま、衛士長トラトラツィニリストリに鋭しまなざしを送った。
「次は必ず貴様を討つ」
宣言したのち、続けて彼女はエデンとマグメルに視線を移す。
「今は忘恩の徒どもの始末が先だ。我らが長の信頼を裏切らんとする者にはしかるべき報いを与えねばならぬ」
一本一本が小ぶりの短剣ほどはあろうかという歯を噛み締めて吐き捨てるように言うと、兵士長カプニアスは三叉の戟を前方に構えたまま森の中に姿を消した。




