表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第五章  嘴人 と 鱗人(はしびと と うろこびと) 篇   第二節 「八尋の殿舎を訪ね」
409/466

第四百四話    相 聞 (そうもん) Ⅰ

 自室に戻ったエデンとマグメルは、約束の時間である夜を待っていた。

 二手に分かれると皆で決めた昨日、互いの置かれている状況を確認し合うため、翌日の夜に落ち合うことを提案したのはシオンだった。


「集落を離れる際は人目を避けることをお忘れなく」


 注意を喚起したのち、深呼吸をした彼女は一段と真剣な表情で続けた。


「どうしても抜け出せない状況も起こり得るでしょう。相手方が姿を見せないからといって、軽率な行動を取ることは控えてください。その場合はすぐに引き返し、翌日に機会を順延することにしましょう。一日二日はそういった事態が続くことも考えられます。ですが——」


 そこで一度言葉を区切り、決然として言い切る。


「——三日続いて相手方が現れなければ、そのときは望ましくない状況にあるものと判断してください」


「そ、その場合は……」


「乗り込んででも助け出す、でいいんだな」


 恐る恐るの言葉を、カナンはそう引き継いだのだった。


 エデンとマグメルは客室のある離樹から、旅人たちの受け入れ口のある兌樹に向かって回廊を進む。

 日の高いうちに道のりを把握していたとはいえ、夜の闇の中で回廊を進む行為には肝を冷やされる。

 角燈の明かりをともすわけにもいかないため、比較的夜目の利くマグメルに先導を任せ、暗闇の中を慎重に進んだ。

 人々の往来する街道に最も近い場所に位置する兌樹は、その幹の内に地上近くまで続く階段を有している。

 そこを抜けて地上に近いもう一つの回廊まで下った二人は、それでも十分高さのある場所から眼下を見下ろした。

 坎樹と同じく回廊に開けられた穴近くには縄梯子も備え付けられていたが、密かに抜け出そうとする身である以上、それを使うわけにはいかない。

 そうなると頼れるのは——そんな思いの元にマグメルを見やったときには、すでに彼女は腰袋から棒結びに束ねられた縄を取り出していた。


「じゃん! マグメルちゃんの七つ道具!」


 得意げに取り出した鉤付き縄を手早く伸ばしてみせ、先端の三本爪を回廊の端に引っ掛ける。

 確かに固定されているかを確認したのち、彼女は落とした縄を伝ってするすると地上に下りていった。

 揺れが収まるのを見届け、エデンも意を決して縄に身体を預ける。

 マグメルのようにはいかなかったが、兌樹の幹に足を添えつつなんとか地上までたどり着く。

 最後は縄から滑り落ちるような形だったが、あおむけに倒れ込んだ体勢のまま、一日ぶりの大地の感覚を背中で感じながら樹上を見上げた。

 マグメルが「ほ」と口にして手首を返せば、波を打った縄の先端が回廊から解き放たれる。

 彼女は鉤付き縄を手繰り寄せ、手元で器用に束ねていった。


「七つ道具——」


 鮮やかな手並みを前にし、上半身を起こして口を開く。


「——楽団員の……?」


 釈然としない思いを覚えつつ呟けば、マグメルは「えへへ」と舌を出して笑ってみせる。


「ほら、エデン! 行こ!!」


 はぐらかすように言ってエデンを引き起こすと、次いで彼女は急かしでもするかのように足踏みを繰り返した。


「早く早く!!」


「——う、うん」


 短く答え、彼女と共に闇の中を駆け出した。


 手にした角燈の明かりを頼りに、エデンとマグメルは林冠の下を進んでいた。

 足裏に感じる大地の感触にいくばくか戸惑いを覚えつつ、落ち葉と朽ち木が層をなすように積み重なった林床を走り抜ける。

 月の光の届かない森の中で角燈の明かりはいささか頼りないものの、時折林冠の隙間からのぞく大樹が進むべき方向を示す。

 急ぐあまり気付けば一人先行するように走っていたが、マグメルは何も言わずに付いてきてくれていた。


 そうして一時間ほど森の中を走り続け、一昨日カナンとシオンの二人と別れた岩原へとたどり着く。

 両手両足を使って台地状の丘に続く斜面をはい上がって見たのは、岩に背を預けて立つカナンと、その足元に膝を抱えて座るシオンの姿だった。

 離れていた時間は丸一日と数時間ほどだったが、無事に再会できたことが無性にうれしくてしかたない。

 気付いて手を掲げるカナンと立ち上がるシオンの元に転びそうになりながら駆け寄ると、二人の手を取って喜びを伝えた。


「大げさな男だな、君は」


 あきれ顔を浮かべながらも、カナンの口調はどこか優しい。


「い、今は再会を喜び合っている場合などではありませんっ……!!」


 シオンはひどく当惑した様子で、握る手を押し返した。


「時間は貴重です。手短に状況を報告し合いましょう」


 筋の通った的確な言葉に、エデンも落ち着きを取り戻す。

 自ら宣言した通り、先手を打つように口を開いたのはシオンだった。


「想像以上の歓待を受けています。排他的な傾向の強い種と聞いていましたが、誤った認識であると理解しました。穴居けっきょ生活に必要な社会性と規律性が、外部からは閉鎖的に映っていたのだと思われます。暴力的で粗野——そういった好ましくない情報も、根も葉もないうわさに過ぎません。沼の鱗人たちは非常に文化的で理知的な種です。粗野なのはむしろ……」


 彼女はそう言って傍らのカナンを横目で一瞥する。


「——私か? あれは仕方ないだろう。狩人として、同じ戦士として、挑まれた勝負を受けぬわけにもいくまい」


 弁明じみた口調で言うカナンを見上げて小さく嘆息し、シオンはわずかに表情を緩めて続ける。


「確かに貴女のその武勇のおかげで滞りなく彼女らの懐に飛び込むことができた部分もあります。沼の鱗人たちは思慮深く知性的な種である一方、強さという概念に対して測り知れない執念を有しています。カナンさんが槍の腕前を示す前と後では、その見る目と待遇が大きく変わりましたから」


 シオンに同意するようにうなずき、カナンがその言葉を継ぐ。


「鱗人たちは強いぞ、エデン。彼女らを率いる長は小兵だが、その名に恥じぬ手練れだ。そして兵たちを率いる三人の兵士長、これも歴戦の猛者ぞろいときている。鍛錬の様子も見たが、矛先に乗る思いの強さも相当だ。加えて——その強き思いには、怒りと恨みといった負の感情が多分に含まれている。昨日今日と日に日に激しさを増す訓練、そのなかで兵たちが題目のように繰り返し唱えていた言葉があるんだが、それが――」


 そこまで言うと、カナンはいったん言葉を切ってシオンと顔を見合わせる。

 そして同時に口を開いた二人は、まったく同じ言葉を発した。


「——りゅうを取り戻せ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ