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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第五章  嘴人 と 鱗人(はしびと と うろこびと) 篇   第二節 「八尋の殿舎を訪ね」
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第三百九十八話  上 枝 (ほつえ) Ⅲ

 夢を見ることもない深い眠りに落ちていたエデンを目覚めさせたのは、外から差し込む朝の日差しだった。

 床に横たえた身を遅々とした動作で起こすと、身を包んでいた掛け布がするりと滑り落ちる。

 見れば同じく床に転がって眠るマグメルも、一枚の布を抱え込むように抱き締めていた。

 寝ている間に誰かが——おそらくはテポストリが布を掛けてくれたであろうことを思い、この場にいない嘴人に感謝を覚える。

 立ち上がり、おぼつかない足取りで部屋の出入り口に向かうと、樹洞の上縁に手を添えつつ外を眺め見る。

 離樹を囲む回廊から見渡せるのは、大森林の東側の景色だ。

 緑色の林冠は視界の果てまで続いているが、とりわけ視力に優れるわけでもなく特別な力を持たない目では森の先を見通すことはできない。

 八樹に勝る高さを有する央樹の上からであれば、当面の目的地である東の大集落を見ることができるのかもしれないと思いをはせる。

 もう一度央樹の頂に至る螺旋回廊を上る過程を想像して、小さく身震いをした。


「エデンさん!」


 名を呼ぶ声を聞いて振り向いたエデンが目にしたのは、昨日と同じように籠を抱えて回廊を小走りに駆けるテポストリの姿だった。

 

「おはようございます! お目覚めですね!」


「うん。ちょうど今起きたところだよ。おはよう、テポ」


 あいさつを返して籠を受け取り、いったん客室の中に引き返す。

 食台の上に籠を乗せてその場に腰を落ち着けたエデンは、寝台の上に畳んで置いた掛け布に触れながら礼を告げる。


「これ、ありがとう——」


 言って布を抱き締めて眠っているマグメルに視線を投げ、続けて感謝を口にする。


「——マグメルにも」


「いえいえ!」


 テポストリは恐縮するような大げさなしぐさで翼を振る。


「あの後も何度か来てみたんですけど、眠ってるみたいだったので!」


「何度か——」


 その言葉を繰り返し、エデンはもう一度礼を言った。


「——気にしてくれてありがとう」


「んー……」


 二人のやり取りを聞き留めたのだろう、低いうなり声を漏らしたかと思うと、布を抱えて眠っていたマグメルが勢いよく身を起こす。


「……ここどこ?」


 辺りを見回しながら呟き、エデンとテポストリに視線を巡らせる。


「エデン」「テポちゃん」と指さし確認でもするかのように言うと、マグメルは「おはよ」と夢心地のままに笑みを浮かべてみせた。


「おはようございます、マグメルさん」


 大あくびをする彼女にあいさつを送り、テポストリは食台の上の籠を指し示す。


「朝ごはん、お持ちしましたよ」


「ごはん!!」


 マグメルははじかれたように声を上げ、食台の上の籠に取り付く。

 籠の中身に視線を落とした彼女は、掌に収まるほどの大きさの濃紫色の果実をつまみ上げて眇めるように見詰めていた。

 テポストリはそんなマグメルを眺めて小さく微笑むと、自らも籠の中から果実を一つ取り上げる。

 そして籠の中から取り出した石刃を使い、「こうやって」と濃紫色の果実を半分に切り分ける。

 同じく籠に収まっていた匙とともに、テポストリは半球状の果実をエデンとマグメルに差し出した。


「これ、百香果ひゃっこうかっていう果物です。種もとってもおいしいので、そのまますくって食べちゃってください!」


「いただくね」


 受け取った匙を使い、テポストリの勧め通りに種ごと果実をすくい上げる。

 種とともに柔らかい果実を含めば、芳醇な甘みと目の覚めるような鮮烈な酸味が口内に広がる。


「すっぱーい! けどおいしー!」


 思わず顔をしかめてしまいそうになる酸味に、マグメルは眉間に皺を寄せて声を上げつつも、匙を止めることなく食べ進めていた。


「ぼくもご一緒させてもらっちゃおうかな」


 二つ目を切り分けてエデンたちの手元に差し出したのち、テポストリは自らも果実をつまみ上げる。

 嘴の先端に挟み込んだそれを、放り投げるようにして口の奥に落とし込む。


「おいしいですね」


 笑みを浮かべるテポストリだったが、「あ」と漏らしてもともと丸い瞳をさらに丸くして照れくさそうに笑う。


「はしたないところをお見せしちゃいました……! どうです? お口に合います?」


 切り替えるように尋ねるテポストリに対し、エデンは「おいしいよ」と応じ、マグメルも「うん!」と上機嫌に答える。


「それならよかったです!!」


 安心したように言うテポストリは、その顔に晴れやかな笑みを映していた。


 食事を終えたエデンとマグメルに対してテポストリが持ち掛けたのは、樹上集落を見て回らないかという提案だった。

 願ってもない話と案内を頼むエデンに「昨日伝えそびれてしまいましたので」と前置きし、テポストリは離樹の持つ設備について教えてくれる。

 立ち寄った旅人たちの宿代わりとして使われていた離樹は、樹洞に設けられた幾つかの客室の他、手洗いや浴場を備えているとのことだった。


「お風呂があるの!?」


 浴場があると聞いた途端、飛び上がらんばかりの喜びようを見せたのはマグメルだ。

 そんな様子を見たテポストリは、笑顔で浴場への案内を申し出てくれた。


 回廊を幹の四分の一ほど東に進んだ場所、ちょうど離樹の東端の樹洞に浴場はあった。


「ここです——」


 テポストリが言い切るより早く、目にも留まらぬ早業で着衣を脱ぎ捨てたマグメルが樹洞に飛び込んでいく。

 辺りに脱ぎ散らかされた衣服を集めて回ったエデンは、ぼうぜんと口を開け放つテポストリに向かって小さく苦笑いを浮かべてみせた。


「もうー!!」


 言葉にならない叫び声が聞こえたかと思うと、浴場に駆け込んでいったばかりのマグメルが慌ただしく取って返してくる。


「なにこれ!?」


 彼女は浴場の中を指さしながら涙声でうなる。

 その指し示す先、浴場の内部をのぞき込んだエデンが見たのは、樹洞の内壁に沿う形で設えられた浴槽だった。

 何も変わったところの認められないその光景に頭をひねるエデンに対し、マグメルはぞんざいな足付きで浴槽の中に身を沈める。

 そして水の代わりに浴槽を満たしたそれを両手ですくい上げながら、いかにも不満げに声を上げた。


「これ、()()じゃんっ!!」


「本当だね、砂だ」


 浴槽の縁にしゃがみ込み、エデンも指先で砂に触れる。

 細かい砂粒がほんのりと温かく感じられるのは、樹洞の上部にうがたれた窓から差し込む日の光のおかげだろうか。


「そうです、砂です。嘴人たちは砂浴さよく——砂浴びをして翼の調子を整えるんですよ!」


 テポストリはそう言ってから「あ」と何かに気付いたように翼を打った。


「お二人には翼がなかったんでした!! 」


「すなのお風呂……」


 渋々といった様子で浴槽に身体を横たえるマグメルだったが、思いの外砂風呂が気に入ったのか、全身を砂にうずめたその表情は心なしか喜ばしげに見える。


「……んー、これはこれでいいかも」


「テポも砂を浴びるの?」


「はい! そうですね」


 尋ねるエデンに勢いよく答えたテポストリだったが、下嘴の付け根に翼で触れて「でも——」と続ける。


「——ぼくはどちらかというと、水浴すいよくのほうが好きなので。エデンさんたちも、水がよければ隣に水浴び場がありますから!」


「水のお風呂もあるんじゃん!! 先に言って!!」


 砂風呂の外を指し示すテポストリに対し、マグメルは砂の中から不服げな叫びを上げていた。


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