第三百九十七話 上 枝 (ほつえ) Ⅱ
睡眠と覚醒の狭間の浅い眠りの中で、つかの間の夢を見た。
それははるか北の地を目指して自由市場を発つ前、狭くほこりっぽい屋根裏部屋で少女と過ごした日々の夢だった。
隣り合って腰を下ろし、膝を抱えて見上げるのは、天窓から差し込む四角く切り取られた斜陽の光。
階下から聞こえてくるのはよく知る男の不愛想な声と、それに応じる女の明るい笑い声だ。
不意に感じる重みに傍らを見やれば、そこには寄り添うように身体を預けてくる少女の姿がある。
おもむろに首を傾けた彼女の頭が肩に触れ——
「……え——」
はじかれたように、食台に伏していた顔を上げる。
慌てて辺りを見回したエデンは、驚きの表情で自身を見詰めるマグメルの姿を目に留めた。
「びっくりした……」
割座の姿勢でのけ反るように座り込んだマグメルが目を丸くして言う。
「あ、ご——ごめん……!」
急に跳ね起きたことで驚かせてしまったのだろう。
謝罪ののち、エデンは自身がどのくらいの間眠ってしまっていたのかを尋ねる。
「……うーん」
人さし指を顎先に添えて頭をひねり、マグメルは頭を傾けつつ答える。
「三分くらい?」
「——三分……」
繰り返すように呟き、眠りに落ちていたのがそう長い時間ではなかったことに安堵する。
指先で自らの顔を——夢の中で触れた少女の髪の余韻の残る頬をなぞりながら、続けて尋ねた。
「そ、その……自分、何か言ってた……?」
「ううん」
微笑みを浮かべつつ首を左右に振って答える彼女を前に、もう一度小さく安堵の吐息をついた。
直後、エデンは樹洞の出入り口に立つテポストリの姿を目に留める。
夕影の中に籠を抱えて立つテポストリは、翼の中のそれを差し出しながら口を開いた。
「お待たせしました、お食事にしましょう!」
「待ってた待ってた!!」
飛び跳ねるように立ち上がったマグメルは、その背を押すようにしてテポストリを部屋の中に迎え入れる。
「まずはこちらをどうぞ」
持参した大小二つのうち、テポストリは最初に小さな籠を食台の上に乗せる。
続けて赤や黄、緑に紫など、さまざまな色合いの果実の盛られた大きな籠が食台に上げられたときには、マグメルの手は小さい籠の中身に伸びていた。
「やった! いただきまーす!!」
嬉々として籠の中に手を伸ばしたマグメルが取り上げたのは、どう見ても小石か何かにしか見えない小さな塊だ。
それもこの地で収穫できる果実なのかと自身も籠に手を伸ばすエデンが見たのは、突然「う」とうめいて顔をゆがませるマグメルだった。
彼女は意気揚々と口内に放り込んだそれを舌の上に乗せて吐き出し、泣きそうな調子で声を上げる。
「いひ!!」
突き出された舌の上のものをつまみ上げたエデンは、それが見て取った通りに小石であることを確認する。
「……んー!! ——これ、石じゃん!!」
眦に涙をにじませつつ顎を押さえてうめくマグメルに、テポストリはひどく取り乱した様子を見せる。
「ご、ごめんなさい!! つ、つい——ぼくらと同じだと思っちゃって!! だ、大丈夫ですか?」
そう言って小石の盛られた小さな籠を食台から下げると、テポストリは不安そうにマグメルの顔をのぞき込む。
「うー」とうめきともうなりともつかぬ声を上げたマグメルは、唇を突き出してすねたような口ぶりで言った。
「……だいじょうぶじゃないけどだいじょうぶ」
続けて彼女は大きな籠から果実を一つ手に取り、「食べる」と呟いてそのまま口の中に放り込む。
投げやり気味に顎を動かして咀嚼する彼女だったが、果実の味に満足したのか徐々にその表情は明るくなり、二つ目に手を伸ばす頃には自然と笑顔になっていた。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい!」
「いーのいーの」
しきりに謝罪を繰り返すテポストリだったが、機嫌を直したマグメルは気にした様子もなく果実を口に放り込んでいる。
「自分もいただこうかな」
断ってエデンも籠の中の果実を一つ手に取る。
皮ごとかじり付けば、さわやかな甘みが口内に広がった。
「お好きなだけどうぞ!」
種を残して奇麗に食べ切れば、テポストリは籠を押し出すようにしてお代わりを勧める。
「——じゃあ、もう一つ」
答えて二つ目を手に取ってかじり付くエデンを、テポストリはにこやかな笑顔で見詰めていた。
「遠慮なさらずにもっと召し上がってください! たくさんありますので!!」
二個目の果実を食べ終えたところで、食台の上の籠を押しながらテポストリは言う。
「……う——うん」
果実が口に合わないわけではなく、むしろ今までに食べた中でも一二を争うほど味わい深いのも事実だ。
だがさすがに果物だけを三つも四つも食べるのは、少しばかり骨の折れる行為だった。
横目に見ればあれほどうれしそうに果実にかじり付いていたマグメルも、手にした四つ目を持て余している。
もちろん郷に入れば郷に従う覚悟はできており、その暮らしぶりや食事に不平を言うつもりなど毛頭ない。
同じ場所で眠り、同じものを食し、同じ時間を過ごすことで見えてくるものの大きさは知っているつもりだからだ。
「……ありがとう、じゃあ遠慮なく」
礼を言って三つ目を手に取ってマグメルと顔を見合わせると、息を合わせたように果実にかじり付いた。
結局エデンは三つ、マグメルは四つの果実を食べた。
慣れない果実だけの食事にしっくりしないものを感じるところはあったが、それでも腹は満たされた。
テポストリは「それでは後ほど」と言い残し、籠を抱えて部屋を去る。
疲労と空腹、その一方が解消されたことで、もう一方が一気に湧き上がってくる。
不意に訪れた全身を包む疲労感に、身支度もしないままその場に横たわる。
眠りに就く直前に見たのは、同じく寝台に身を預ける間もなく寝入ってしまうマグメルの姿だ。
彼女を寝台の上に運ばなくては、せめて掛け布を身体に——そんなふうに思いを巡らせつつも、エデンは眠りの底に沈み込んでいった。




