第三百九十六話 上 枝 (ほつえ) Ⅰ
テポストリの先導に従って央樹を下ったエデンたちは、その幹に水平に張り巡らされた回廊から、先ほど通り越してきたものとは別のつり橋を渡っていた。
「まさか坎樹からお客さまがいらっしゃるとは思っていなかったって、コスティクさんとイスタクさんも驚いてましたよ! エデンさんたち、草原を抜けてここまで来たんですね!」
「うん。それって珍しいのかな?」
「そうですね、昔は——ぼくが雛の頃はもっといっぱい旅の人たちが立ち寄ってたみたいなんですけど、ここ最近はいろいろ慌ただしいっていうか、落ち着かないっていうか……そんな感じです」
橋の上で振り返ったテポストリは、顔の前で左右に大きく翼を振りながら言う。
「やっぱりそうだよね。そんな忙しいときにごめん。迷惑だったら、その——ちゃんと言ってほしいよ」
「い、いいんですよ!! エデンさんたちは気にしないでください! ……って言っても難しいかもしれませんけど、でも——東の嘴人の衛士さまたちはとっても強いんです。だから、心配無用ですっ!」
勢い込んで言うテポストリに対し、エデンはその口にした耳慣れない言葉を繰り返すように尋ねる。
「エイシっていうのは——?」
「あ、はい!! 衛士っていうのは、央樹とその周りを囲む八樹を守護する守り手のことです。コスティクさんとイスタクさん——さっきエデンさんたちの会ったお二人も、坎樹の番兵の任を務める衛士さまなんですよ!」
まるで自身のことのように誇らかに胸を張ったテポストリは、改めてエデンとマグメルを見やり、腰に左右の翼を添えて言った。
「ですからお二人も、この集落にいる間はなんの心配もありません!」
「安心していいってことだね」
「うん」
見上げるマグメルにうなずきを返し、エデンはテポストリに向かって礼を伝える。
「——ありがとう、テポストリ」
「いえいえ!」
答えて踵を返そうとしたところでふと動きを止めると、再び振り返ったテポストリは人懐っこい笑みを浮かべて言う。
「エデンさんも、テポでいいですよ!」
「うん、ありがとう——テポ」
「はい!」
愛称で呼び直すエデンに笑顔で応じ、テポストリは改めてつり橋を進み始めた。
テポストリが案内してくれたのは、央樹を囲む八樹の中で最も東に位置する「離樹」と呼ばれる大樹だった。
聞けばかつては大森林から最も街道に近い位置に立つ南東の「兌樹」がこの地を訪れる旅人たちを迎え入れる窓口になっていたらしく、空を飛ぶ翼を持たない者でも比較的昇降がしやすくなっているのだという。
そこから登ればあれほどの恐怖を感じずに済んだかもしれないと悔やむエデンだったが、今さら過ぎ去ったことを考えてもどうしようもない。
次に大地に下りる際は兌樹からと心に誓いつつ、テポストリの後に続いて大樹を巡る回廊を進んだ。
「ここがエデンさんたちのお部屋ですよ。滞在中はお好きに使ってくださって構いません」
案内されたのは、長の居室と同様に離樹の幹にぽっかりと口を開けた樹洞の一つだった。
幹に同じような樹洞の複数うがたれた離樹は、以前は旅人たちを受け入れるために使われていたらしい。
訪れる旅人のいなくなった今でも、数日に一度の掃除は欠かしていないとテポストリは語った。
「あたしあっちがいい!!」
嬉々として声を上げたマグメルが指さしたのは、幹に向かって立て掛けられた梯子を使って出入りする形の樹洞だった。
地に足の付かない樹上の環境の中でさらに高い場所を選ぶという信じ難い行為を前に、エデンはその場で固まってしまう。
左右に大きく首を振って固辞してみせると、マグメルもテポストリの示した回廊から直接出入りのできる客室を居室とすることで納得した。
樹洞に足を踏み入れたエデンは第一に背嚢を下ろし、外観よりもはるかに広く感じられる室内をぐるりと見回した。
部屋の中を興味深々といった様子で見て回るマグメルを微笑ましげに眺めたのち、テポストリは二人に向かって口を開く。
「それではごはんにしましょう! 用意しますから、少しだけ待っていてくださいね」
「やったやった!! ちょうどね、おなかすいてたとこ!!」
小躍りせんばかりに喜びをあらわにするマグメルをたしなめようとするエデンだったが、自身も空腹を感じていないと言えばうそだ。
振り返ればカナンとシオンの二人と別れたときから、ひいては朝から何も食べていないことを思い出す。
腹部をさすりながら申し訳なさそうに見やれば、テポストリは得意げな笑みを浮かべて客室から飛び出していった。
「——ふう」
テポストリが去り、エデンは床に力なく腰を落とす。
空腹ももちろんだが、慣れない森の中の長時間の移動は想像以上の疲れをもたらしていた。
「少しだけ……」
部屋の中央に置かれた食台に上半身を預け、小声で呟いて目を閉じる。
本当に短時間のつもりだった。
少しだけ目を閉じて身体を休める予定だったのだが、疲労は殊の外大きかったようで、知らぬ間に眠りに落ちてしまっていた。




