第三百九十二話 交 戟 (こうげき)
カナンとシオン、二人と別れたエデンはマグメルと共に幾重にも重なり合った林冠の下を進んでいた。
岩原から霧深い森に足を踏み入れ、すでに一時間ほどを歩き続けている。
目指す大樹は森の屋根に遮られて全貌を捉えることはできなかったが、時折葉の隙間からのぞくそれを頼りにうっそうと茂る緑の中を進んだ。
「あ——」
不意に眼前に飛び込んできた光景に、思わず驚嘆の声を漏らす。
視界を遮る一面の壁のようなそれが目標と定めた大樹であると気付くと、はるか上方に向かって伸びる幹を見上げた。
「うわあ、おっきいねー!」
傍らではマグメルも大口を開け放って感嘆している。
見上げ過ぎたことで倒れ込みそうになったところを両の手で支え、エデンも「うん」と応じた。
そうしてしばらく森の天蓋を貫いてそそり立つ大樹を見上げていたが、恐る恐るその幹に向かって歩を進め始める。
一本一本が並みの樹木ほどの太さはあろうかという根を踏み越えて進み、視界いっぱいが幹で占められる距離まで近づいていく。
露根の上を身軽に飛び移るマグメルを横目に見ながら樹の表皮に触れる。
荒れた樹皮の手触りは、天を指してそびえる大樹が自身など遠く及ばない永い歳月を生きているであろうことを感じさせた。
幹に手を添えて左右に視線を走らせ、幹周りの太さはどれほどのものかと思いを巡らせる。
触れたまま周囲を一周しようとすれば、数十分は要するのではないだろうか。
嘴人たちがすみかとする所まで達するためには、いったいどれ程の高さまで登らなくてはならないのだろうか。
そんなことを考えつつ大樹から離れたエデンは、距離を取って今一度頭上を見上げた。
マグメルは幹に飛び付いて登攀を試みていたが、手掛かり足掛かりとなる部分の見当たらない大樹を登るのは難しいのか、途中で力尽きて滑り落ちてしまう。
転がるようにして足元に滑り落ちてくる彼女の身体を、エデンは手を伸ばして引き起こした。
「んー、どうしよっか」
「……うん、どうしよう」
隣に並んで頭上を見上げ、不服そうな顔で呟くマグメルに小さな嘆息で応じる。
目指す場所にたどり着いたはいいものの、その根元で足止めを食っているのが今の状況だった。
堂々たる威容は、目の前の樹木が目的地である東の嘴人たちの暮らす大樹であることの何よりの証左だ。
樹上集落と呼ばれるからには、彼らのすみかが樹の上にあることにも疑いの余地はない。
多くが飛行の能力を有する嘴人たちが暮らす集落である以上、地上を歩く者たちに門戸が開かれていなかったとしても仕方のないことなのかもしれない。
だが今のエデンたちには、どうしても樹上の嘴人たちのもとに出向かなければならない理由があった。
「会えませんでした」では、鱗人たちの元に向かったカナンとシオンに合わせる顔がない。
二人して頭上に向かって声を上げ、手を振り、幹を軽く打ってみる。
妙案とばかりに短剣の刃に木漏れ日を反射させるマグメルだったが、樹上からの反応はなしのつぶてだった。
「やっぱ、これしかないかな」
そう言って腰に手を回したマグメルは、左右の手で鞘から一対二振りの短剣を抜き放つ。
短剣を逆手に握り直しながら大樹に歩み寄った彼女は、右手で振りかぶったそれを幹に向かって突き出した。
「何をしているっ!!」「なんのつもりだっ!!」
突如として響く声に、マグメルは突き立てかけた短剣をすんでのところで押しとどめる。
重なって聞こえた二つの声の主を辺りに探したエデンは、樹上から舞い降りる二人の嘴人の姿を捉えていた。
趾に投槍を握った嘴人たちは大きく広げた翼で制動をかけて地上に降り立つと、翼に持ち替えた得物をマグメルに向かって突き出していた。
「何者だ!?」「何用だ!?」
詰問口調で尋ねる二人の嘴人に対し、手にした短剣を素早く鞘に納めたマグメルは、抵抗の意志なしとばかりに頭上に掲げた両手をひらひらと振ってみせる。
訝しげな表情を浮かべた嘴人たちは槍を突き出してマグメルを大樹の幹から追い立てようとしたが、彼女はその穂先を機敏な動きでくぐり抜け、エデンの背にするりと身を隠した。
マグメルに背中を押されて前方へ進み出たエデンは、交差するように槍を突き付ける嘴人たちに向かっておずおずと口を開く。
「ええと、その——」
「どこから来た!?」「何をしに来た!?」
遮って同時に言い放つ嘴人たちを前に、エデンは言葉を詰まらせる。
「一人ずつしゃべってくれないと、なに言ってるのかわかんないよ!」
マグメルが背中から顔を出して言うと、二人の嘴人はいったん顔を見合わせ、再びエデンを見据えて同時に問いを発した。
「何をしに来た!!」「どこから来た!!」
混じり合って不明瞭ではあるものの、この状況において問われることに見当が付かなくもない。
尋ねられているのが素性か用向きであるとの憶測の元、この森を訪れた目的を告げる。
「自分たちは、その……いなくなった仲間の行方を捜してて——」
自由市場から東に向かって旅立ち、吠人たちの暮らす草原を横切ってこの地にたどり着くまでの経緯を説明する。
そして掌をもって自らを示し、稀有の種である自身らの出自と由来とを求めて旅していることを正直に伝える。
戦中にある嘴人たちにとって突然の来訪者がはた迷惑な存在であろうことは想像に難くなかったが、彼らが鱗人と争う様を目にしたことは無理やり頭から退けて言葉を続けた。
二人の嘴人は最後まで話を聞いたのち、互いに顔を見合わせ、深く考え込むように顔をうつむかせていた。
その間にエデンは改めて色鮮やかな羽毛に覆われた二人の姿に目を配る。
向かって左側の嘴人は、なで付けでもしたかのように後方に流れる金色の冠羽に、襟首から背にかけて続く橙と黒の縞模様の飾り羽が印象的だった。
右手の嘴人ももう一人とよく似た外見の持ち主だったが、冠羽は赤色で襟元の飾り羽は銀と黒と、色合いを異にしている。
両者ともに飛行の妨げにならないような袖のない貫頭衣を身に着けており、裾から伸びる尾羽は地を擦るほどに長かった。
「少し待て」「そこで待て」
金と銀、二人の嘴人は今一度うなずき交わしてエデンを見据えると、そう言い残して樹上へと飛び去っていった。




