第三百九十一話 岐 路 (ちまた) Ⅱ
「え……?」
動揺をあらわにするエデンだったが、カナンは至って冷静な口ぶりで言う。
「君たちが嘴人たちのところへ向かうのであれば、私は鱗人たちの元に行こうと思う。先ほどの様子では——まずはあちら、次にこちらと悠長に構えている暇はなさそうに見受けられる。ここは二手に分かれるのが妥当だろう。武を重んじる鱗人たちだ。武者修行の旅の途次と告げれば、むげに扱われはしないだろう。我々の中ならば、誰よりも私が適任じゃないか?」
言って彼女は肩に担ぐ槍の柄を指先で軽く打ってみせる。
「で、でも——」
「一方の言い分だけで大局を判断するべきではない。真実を正しく捉えるためには、一面だけではなく表と裏から見定める必要がある。盾の両面を見よ、とはよく言ったものだ」
言いかけるエデンを遮り、カナンは言葉を続ける。
続けて真摯なまなざしをたたえ、微かに表情を緩めてエデンに微笑み掛けた。
「君を守ると誓ったにもかかわらず、これほど早くその役目を放り出すことを許してほしい。埋め合わせというわけではないが、必ずやそれに足るだけの価値を持ち帰ると約束する。私が不在の間は——」
カナンはその視線をマグメルへと注ぐ。
「——君に任せる。エデンのことを頼んだぞ」
「うん、まかせて!」
得意げに胸を張る彼女の反応を眺めて満足げにうなずくと、カナンは続けてシオンに向き直る。
「君も——」と口を開きかけたところで、シオンはエデンの傍らからカナンの隣に向かって歩を進めた。
「沼の鱗人たちは排他的な傾向の強い種と聞いています。故に——私は貴女のことが心配です」
見上げるシオンに対し、カナンは手にした槍を横目に一瞥しながら言い返す。
「案ずるには及ばないさ。いざとなれば腕で後れを取るつもりはない」
「だからです。貴方の能力に疑いを抱いているのではなく、むしろそれが心配の種なんです。波風を立てて結局話が聞けずじまいに終わるなら、あえて危険を冒してまで二手に分かれる必要はないという意図で言っています」
シオンは嘆息するように言って振り向くと、エデンに向かって申し出た。
「私も彼女と行きます。どうか許可を」
「許可も何も——」
二人が代わりに他方を見てきてくれるのなら、これほどありがたいことはなかった。
優れた戦士でありながら鋭い洞察力を有するカナン、そこに明敏なシオンが加われば寄せる信頼感は極めて厚い。
二人ならば自身の代理などではなく、それ以上の成果をあげてくれるという確信があった。
この場に一人で立っているわけではないことに対し、改めて感動にも似た感謝の念を覚える。
「——ありがとう。そうしてくれると本当に助かるよ」
エデンは傍らのマグメルを見下ろし、次いで正面のカナンとシオンの二人を見詰めて告げた。
「ということです」
「ああ、よろしく頼む」
エデンの言葉を受けたシオンが横目に見上げれば、カナンも小さく笑みを浮かべてその肩に触れる。
その場に地図を広げたシオンは、この後の段取りを秩序立てて計画していく。
差し当たりは明日の再開を約束し、エデンたちはカナンの提案通りに二手に分かれて行動する運びとなった。
エデンはマグメルと共に東の嘴人たちの暮らす森に、カナンとシオンの二人は沼の鱗人たちの元へ。
別れ際、シオンは指を折りながら幾つかの注意事項を列挙する。
くれぐれも慎重に行動すること。
訪問の目的はそれぞれの種の暮らしぶりを知ることであり、その在り方への要らぬ口出しや、差し出がましい行動は控えること。
彼女はそこまで言うと折った指を起こしてエデンに突き付け、念を押すように続けた。
「いさかい合う両種の間で動く以上、不要な騒ぎを起こしたくはありません。もしも間者の疑いを掛けられでもすれば、私たちも無事では済まないでしょう。分かれた相手側の存在についても知らぬふりを徹底してください。それからこれが一番大事なことですが——」
そしていっそう鋭い視線でエデンを見据えると、彼女は極めて強い口調で釘を刺すように言う。
「——争いを止めようなどと、身の程知らずなことは決して思わないように」
そのいつになく犀利な表情に、思わず息をのむ。
繰り返しの点頭で応じるエデンを、シオンはしばしの間眼鏡越しの鋭い視線をもって見据え続けていた。
改めて視線を交し合った四人は、二手に分かれてそれぞれの目的地を目指す運びとなる。
大樹のそびえる大森林の方角に向かって歩を進めながら、エデンは思いを残すように後方を振り返っていた。
遠くなるカナンとシオンの後ろ姿に気を引かれていたところ、隣を歩くマグメルが袖を引く。
「二人ならだいじょうぶだよ。あたしたちはあたしたちのできること、しよ!」
笑みを浮かべる彼女を見下ろし、エデンは「うん」と小さく首肯する。
武と知に秀でた二人を心配するよりも、今鑑みるべきは彼女らに頼ることのできない自らの身の処し方だ。
マグメルに寄り添い続けた四人の代わりに守ってみせようなどと大それた考えを抱くつもりはないが、できるだけ負担を掛けないためにも己の身は己で面倒を見たい。
「……よし」
両手で頬を張って気を入れ直すエデンを横目に見上げ、マグメルもまた「よし!」と意気込むように口にしていた。




