第三百八十四話 心 丈 (こころのたけ) Ⅰ
「はあ!? アルヴィ!ン! お、お前っ……!! 何泣いてんだよ、この莫迦っ!!」
立ち上がったユクセルは乱暴な手つきでその襟元に手を伸ばすが、アルヴィンにはあらがう様子は見られない。
首元を締め付けられながらも、ユクセルを見据えて呟くような声で言う。
「だってさ、やっぱりこんなの寂しいって。彼女の言うようにさ、素直に送り出してあげようよ」
「ああん!? 散々話し合って決めたことだろ!? 今さらいち抜けたか、おい!!」
ますますその締め付けを強くするユクセルの、その肩に触れつつルスラーンが言う。
「荒れる気持ちはわかるが冷静になれ、ユクセル」
「うるせえって!!」
片手を振り上げてルスラーンの手を払いのけたユクセルだったが、再度アルヴィンの襟元に伸びるその腕を背後に回り込んだジェスールがつかみ上げる。
「痛ってえなあ、何すんだよこの野郎!!」
怒りの矛先をアルヴィンからジェスールに向けたユクセルだったが、ジェスールは勢い込んで見上げる彼の怒りを受け止めでもするかのように笑みを浮かべた。
「落ち着けよ、ユクセル。俺たちには土台無理な話だったんだ。下手に芝居なんて打とうとするから余計にややこしくなる。時には己の思いに正直になることも必要だと——そこの好男子に教えてもらったばかりだったじゃないか」
そう言ってエデンを見やり、次いで暴れるユクセルを解放したジェスールはカナンを見詰めて続けた。
「カナン、悪かった。そちらの聡明なお嬢さんの言う通りだ。俺たちも素直になろうと思う。だからお前も己の気持ちにうそをつかないでほしいんだ」
「ジェスール、お前たち……」
カナンは膝立ちの姿勢のままその名を呼んで彼を見上げると、続けてアルヴィンとルスラーンに視線を向ける。
「行っちまえ、どこへなりとも」
再びあぐらを組むようにその場に腰を落としたユクセルがふてくされたように口を開く。
言い捨てるように言うと、彼は掌の上に顎を乗せてそっぽを向くように視線をそらしてしまった。
「ユクセル……」
カナンに名を呼ばれてわずかに肩を震わせはしたものの、彼はいつまで経っても振り向こうとはしない。
顔を背けたまま黙り込んでいた彼が口を開いたのは、その場の誰もが口を開くことなく守り続けた沈黙が数分を回った頃だった。
言わなければ事態は何も変わらない、だがいったんそれを口にしてしまえば全てが変わってしまう。
それを理解しているのだろう、覚悟とも諦観ともつかぬ表情をその顔に映してユクセルは言った。
「だから行けって。お前がしたいようにしろって言ってんだ。……あれだ、誰でもねえ——お前のさ」
カナンを上目に見上げて投げやり気味に言うと、彼は傍らの長イルハンを横目で眺めつつ続ける。
「行きてえって思ってる奴を止めることなんて誰にもできねえ。爺さんがそうしてくれたみてえに、俺も——止めねえから」
言って再び目をそらすと、ユクセルはもう一度いかにも不満げな口ぶりで呟いた。
「とっとと行っちまえ」
無言のまま立ち上がったカナンは、シオンとマグメルに向かって視線を送る。
意を問うようなその目にうなずきと笑みをもって応える少女たちの反応を受け、カナンはエデンに向き直る。
エデンが力強く首肯を返すと、彼女もまた深くうなずいてみせた。
「私は——」
カナンは泰然と腕を組むジェスール、なおも涙し続けるアルヴィン、懐手にした手で鼻先を覆ったルスラーンを順に見やる。
そして顔を背けるユクセルと、変わらぬ様子で小刻みにうなずき続ける長イルハンに視線を落とし、確かな口調で自らの意志を表明した。
「——エデンと……彼らと共に行きます」
ジェスール、アルヴィン、ルスラーン、三人の元に歩み寄ったカナンは、腰を落とした彼らの顔に自らの頬を寄せる。
三人に対して左右交互に頬を寄せ合った彼女は、視線を背けるようにして座り込むユクセルのそばに膝を突いた。
左右の手をその顔へと伸ばすカナンだったが、ユクセルはその手を押しのけるようにして腰を上げ、いら立たしげな足取りで天幕の出入り口へと向かってしまう。
カナンは両手を宙にさまよわせたまま振り返って彼の後ろ姿を目で追ったが、小さな吐息を漏らして正面に向き直った。
姿勢を正し、彼女は長イルハンの前に進み出る。
「長イルハン、身勝手をお許しください……!」
カナンは膝を突いてその名を呼び、深々と頭を下げる。
そして床にぺたりと顔を張り付けたまま、消え入りそうな声で呟くように言った。
「父上……お父さん、育ててくれてありがとう」
長イルハンを囲んでいたジェスールらも、示し合わせたように天幕の外へと出ていく。
エデンはその場を去る三人の背を見送ったのち、再度カナンの背中に視線を寄せた。
「……エデン」
カナンは背を向けたままその名を呼ぶ。
「旅の支度に少しだけ時間をもらえないか。——すぐに済ませる」
「う、うん……! よかったら自分も手伝——」
言いかけたところで、背後から腕を取ったのはシオンだ。
「行きますよ」
彼女は手を引いて天幕の外にエデンを連れ出すと、頭を抱えて嘆息するように言った。
「貴方という人は……どうしてこう——」




