第三百八十二話 示 合 (しめしあわせ) Ⅰ
出発当日の朝、エデンたち三人は思いの外長くなってしまった滞在の礼を言うべく、長イルハンの天幕を訪れていた。
そこには長当人の他、カナンとユクセルら四人の狩人たちの姿もある。
炉を中心に皆が円座になるように腰を下ろす様は、初めてこの移動集落を訪れた日を思い起こさせた。
エデンの感謝の言葉に長イルハンは黙って静かに耳を傾け、時折思い立ったように小刻みなうなずきをもって応えた。
「本当にありがとう、それじゃあ……行くよ」
言ってあぐらを組んだまま深々と頭を下げると、長はエデンに対してひときわ大きな首肯を送る。
「大変お世話になりました」
「じゃあね、おじいちゃん」
エデンに続いてシオンとマグメルが告げれば、長は繰り返しの点頭で二人のあいさつに応じた。
もう一度長に黙礼を送り、エデンはその場から立ち上がる。
少女二人と共に天幕を後にしようとしたところを、挑発的な口調で呼び止めたのはユクセルだった。
「……おい、待ちやがれ。やっぱり納得いかねえ、本当にありゃ俺たちの負けだったのか?」
「え……?」
ユクセルはその場に腰を下ろしたまま、振り返るエデンを気だるそうに見上げる。
その突然の物言いに慌てるエデンに対し、彼はさらに語気を強めて続けた。
「なあ、このまま勝ち逃げする気か?」
「そ、そんな……!? か、勝ち逃げだなんて——!!」
「今になってなにいってんの!? もんくがあるならそのときにいえばいいじゃん!!」
口ごもるエデンに代わって反駁を加えたのはマグメルだ。
彼女は目いっぱい頬を膨らませ、いら立ちをあらわにユクセルに詰め寄ろうとする。
だがそんなマグメルを手でもって制し、ユクセルに向かって鋭い視線を浴びせたのはカナンだった。
「彼女の言う通りだぞ、ユクセル。今さらなんのつもりだ」
「へっ、今さらも何もねえ。よく考えたらやっぱ気に食わねえ。だから気に食わねえって言ってんだ」
悪びれる様子もなく言ってのける彼に対し、カナンは眼光鋭くにらみ付けながら言う。
「口を慎め。技比べの勝敗はすでに決している。この結果に対し、敗者であるお前はいかなる異議をも申し立てる資格を持たない。彼らの旅立ちを汚すばかりか、吠人の誇りに泥を塗ろうというわけではないだろうな」
「そんなつもりはねえって。ただなあ……ありゃおかしいんじゃねえかって思うことがあるだけさ、なあ——」
肩をすくめてそう言ったかと思うと、ユクセルは座ったまま腕組みをするジェスールに話題を振った。
「どういうことだ、ジェスール」
「いや、俺もこんなことを言いたくはないのだが……あれはどうだろう」
深く考え込むようなそぶりを見せたのち、ジェスールはうなるように言った。
「……なあ、アルヴィンよ」
「うん、そうだよね。あれは——あんまりよくなかったかな」
アルヴィンもまた皮肉っぽい笑みを浮かべてジェスールに同調してみせる。
示し合わせるように顔を見合わせる二人に対し、カナンは業を煮やしたように声を荒らげる。
「さっきから一体なんなんだ、お前たちは!! わかるように言ったらどうだっ!!」
その勢いのままルスラーンに視線を投げ、彼女は語気強く言った。
「お前もこれらと同じ考えか!?」
「思うところのなくもなし」
「……はっきりしない奴め! お前も同輩ということでいいんだな!!」
「当たらずといえども遠からず」
その一本調子を受け、カナンはますますいら立ちを募らせる。
「……くっ、この期に及んで何を莫迦なことを——! 彼らは技比べにおいて勝利という形で結果を残した! これ以上何を望む!? まさかもう一度技比べをしろとでも言うのか!? お前たちは!!」
長の前であるにもかかわらず激しく声を荒らげるカナンに対し、ユクセルは片唇をつり上げながら言った。
「そいつらはそれなりによくやったんじゃねえの? 俺が納得いかねえのはなあ……お前だよ、カナン」
「わ、私——だと……!?」
「お前、てめえのこと立会人だ調停人だなんて言ったよな。爺さんに代わって仕切り役引き受けるって——てめえから手え挙げたよな?」
わずかに動揺を見せるカナンに、ユクセルはたたみ掛けるように言葉を続ける。
「爺さんはどっちかに肩入れするようなまねはぜってえしなかった。それがお前はどうだ、二人で仲良く秘密の特訓か? は、随分と気安い女になっちまったもんだなあ!」
「それは——」
一瞬返答に窮するものの、カナンはすぐに気を取り直して反論する。
「——それはお前たちも同じだろう! ジェスールなどは進んで稽古相手を買って出て……それにユクセル! お前だってエデンの稽古に何かと口出ししていたのを忘れたか!?」
感情的になって言い返す彼女を鼻で笑って受け流すと、ユクセルはエデンを横目に一瞥しつつ言った。
「てめえが弱えこと知って、そんで強くなりてえって思うんなら助言の一つもしてやるさ。それに俺たちはいいんだよ、実際に戦うのは俺たちなんだ。相手が弱えままじゃつまんねえからな。——だろ、ジェスール?」
「違いないな」
「それで負けてちゃ世話ないけどね」
顔を傾けて意を問うユクセルにジェスールが返すと、アルヴィンは肩をすくめてからかうように言った。
「俺たちゃいいが——公平な立ち位置で場を仕切らなきゃならねえお前がだ、片肌脱ぐようなまねしちゃいけねえって思うわけだ。ちょっと背格好似てるからって気許しちまうような奴だって知ってたら、俺らだって考えるところもあるさ」
そう言っておもむろに立ち上がったユクセルは、上座に座す長イルハンのもとに歩み寄りその隣に腰を下ろす。
そして長の首に手を回し、反対側の肩をたたきながら言葉を続けた。
「爺さんにもいろいろ相談したんだ、この不始末についてお前にどうやって責任取ってもらうかってな」




