第三十七話 金 色 (きんいろ) Ⅰ
「これは、なに……?」
卓に置かれた布袋をひと目眺め、次いでイニワを見上げて尋ねる。
「開けてみろ」
「……う、うん。わかった」
普段と変わらない口ぶりで言う彼に控えめな首肯で応じ、布袋の紐におじおじと手を伸ばす。
はたと手を止めて周囲を見回すと、先ほどまで騒がしかった店内は不自然なほどに静まり返っているのがわかる。
見ればイニワだけでなく、居合わせた全員の視線が自身へと集中しているところが認められた。
皆に見られているという緊張感が焦りを呼び、気が急くほどに指が震えてなかなか紐をほどくことができない。
それでもどうにか紐を取り払った少年は、のぞき込んだ袋の中に予想もしていなかったものを目にする。
「え……? こ、これ——」
袋の中身は数枚の金貨だった。
一見したところ、十枚以上はあるように思える。
思わず息をのむ少年に対し、イニワはあくまで落ち着き払った態度で告げた。
「受け取れ」
「受け——え……? ど、どういうこと……!? え——」
思いも寄らない言葉に激しい困惑を覚え、取り乱したように声を上げる。
救いを求めて隣に掛けるアシュヴァルの顔を見上げるが、彼は目元を手で覆うようにして卓に肘を突いてしまっている。
アシュヴァルの助けが得られないとわかると、含み笑いを浮かべる抗夫たちを順に見やり、最後に椅子をがたつかせながら後方を振り返ってイニワを仰ぎ見た。
「イニワ……」
「受け取れ。おれたち一同からだ。言葉通り、例外なく一同からだ。額に多寡はあれど、おまえの事情を知った抗夫の皆で少しずつ出し合った。取りまとめたのはおれだが、あくまでおれもその中の一人に過ぎない」
普段通りの素っ気ない口調で語られる内容に、ぼうぜんと耳を傾け続けていた少年だったが、理解が追い付いていくに連れて全身に震えが込み上げてくる。
「み、みんなが——じ、自分のために……?」
「そうだ。無理強いをしたわけではない、そこは安心してくれて構わない。皆が己の意思でおまえの力になりたいと考えての行動だ」
「で……でも、こ、こんなに——」
もう一度袋の中身をのぞき込む中、卓の一つから声が上がる。
「気楽に受け取れって! こっちは一回博打ですったと思って出しただけだからよ!」
声のした卓を見やれば、そこには見慣れた三人組の姿があった。
ここ最近頻繁に店に出入りするようになった彼らには、以前に軌框の上を歩いていたことをとがめられている。
初訪の際にはその際の出来事を思い出してぎくりと身をこわばらせたが、何事もなかったように席に着く三人の様子に、自身のことなど忘れ去ってしまっているのかと思っていた。
「こいつ、お前に謝りたいってずっと言っててよ!」
「こんなことでもなけりゃあ謝れねえからな! 」
茶化すように言う残りの二人に、最初に声を上げた抗夫がいら立ったように怒鳴り声を上げる。
「う、うるせえな!! 余計なこと言うんじゃねえ!!」
それが契機となり、店内は笑いに包まれる。
落ち着きなく視線をさまよわせる少年に対し、次に声を掛けたのは風廻しのベシュクノだった。
「遠慮なくもらっておけばいいんじゃないか? 金は回りものさ。ここにいる奴らなんかよりも、君のほうがよほど上手に使えると俺は思うがね」
片目をつぶって目配せをしながら言うベシュクノに、同じ卓のウジャラックも「違いない」と腕組みをしてうなずいてみせる。
「どうする。受け取るのか、受け取らないのか」
「そ、その、急過ぎて……ど、どうしたらいいのか——」
イニワのいかめしい顔つきと険しい物言いに、思わず身をのけ反らせる。
詰め寄る彼を見上げておずおずと答えると、今一度すがるような視線をアシュヴァルに向けた。
うつむき加減に目を閉じて話を聞いていた彼は、笑いを噛み殺しでもするかのように喉を鳴らして言った。
「裏でこそこそたくらんでやがったのは知ってたが、こういうことかよ……!! くくく——」
込み上げてくる感情に耐え切れなくなったのか、アシュヴァルはとうとう大声を上げて笑い出す。
「——あっはっはっはっは……!! いいじゃねえか、ありがたく受け取ってやれって! こいつらの気が変わらないうちによ!! それにしてもどうしちまったんだ、お前ら!? いつからそんなお人好しの集まりになっちまったんだよ! ——あれか? あれだろ! こいつの影響受けて焼きが回りでもしたか!?」
腹を抱えて心底おかしそうに言うアシュヴァルだったが、酒場に集まった抗夫たちは、そんな彼をにやにやとした薄ら笑いを浮かべて見詰めている。
表情の抑揚の少ないイニワでさえも、どこかあきれたような雰囲気を漂わせていた。
「——な……なんだよ、お前ら! 何がそんなにおかしいんだよ!!」
「気付いていないのか、アシュヴァル。彼と関わって一番変わったのが誰なのか。目で目は見えないなんて言うが、そこまで突き抜ければいっそすがすがしいな」
周囲の見せる反応に激しい動揺をあらわにするアシュヴァルに対し、肩をすくめて言ったのはベシュクノだ。
あきれているのか褒めているのかわからない調子で言う彼に、ウジャラックも「まったくもってその通りだ」と同意を示していた。